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ぶらりごろりぱくり

幻影って言葉があるけれど、僕が東京で漫然と見ていたものは幻影だったんじゃないか?
なんて事をこっちでの暮らしの中で考えるようになった。
それはつまり、自分が慣れ親しんだものが即ち最良ではないのかも知れんということ。
慣れ親しんだものに囲まれて生きる事は確かに心地良い。
だってどこにも無理や我慢がないもの。
だけどね、その慣れや親しみが、いつしかそれを疑ったり、それ以上のものを考えたり、
望んだりすることを厭うようになって来る。所謂「ぬるま湯」に浸かった状態。
一度描き終えたレーダーチャートはなかなか描き替える気にはならんもんだし、
何十年もかけて築いた生活を疑ってみるのは勇気の要る事だ。
だって現状で破綻の無い生活を疑うには決断と精神的努力が必要になってくるもの。
でも僕のように半ば不可抗力によって生活の場を変えられてみると、実はそれまでの
居心地の良いぬるま湯が決して自分にとっての適温じゃなかったのかも知れないと
気づく事がある。僕がこの十ヶ月で気づいたのは正にソレ。

東京で生まれて東京で育った僕が、今の東京を外側から見て思うのは、
あの町は日々のメシが食えないほどの貧乏でも若くて夢や希望のある人か、
そうでなければ経済的にある程度成功した人でなければ楽しめないように思う。
もちろんそれは僕個人の感じた事であって一般的な定義なんかじゃない。
だけど東京での生活コストや、行動に付随する時間単価みたいなものを考えると、
薄給の人間は生活するのが精一杯みたいな事になりかねない。
薄給の人とは誰か? つまり僕のような人ですよ。
僕は余り働かないから常にお金がない。
常にお金のないことを嘆いているけれど、だからといって奮起して働きもしない。
そういう人間にとって基本的な生活コストが少しでも低い土地はありがたい。
裏を返せば有り余るほどのお金が在るのなら、僕は今でも東京に住処を置くと思う。
東京に住処を置きながら田舎で暮らすのが最良じゃないんか?
これこそ終身旅行者なのだ。

この土地にだってイイ所はたくさんある。
周りに人がいないし土地は幾らでもあるからやりたい放題が可能。
ネコを飼おうがバイクやクルマのエンジンが爆音立てようが誰も文句言わないし、
噂好きな近所のオバサンとかいないから緊張感ゼロ。
自分を律する緊張感だけ保てば余計な事には一切気を使わんで済みます。
バイクに乗っても走り出した途端ツーリングモードで帰りの渋滞を心配する事もない。
どこへ行くにも混まないから時間通りにちゃんと着く。
店も品数も少ないけれどクルマで一時間走れば文明世界に浸れる。
まだまだ他にもあるけれど、こうして改めて列挙してみるとね、
僕にとって東京都大田区大森に住んでいた頃の生活に比して劣っているのはなんだ?
と問うた時、明確に答えられるものがあんまり無い。
敢えて言うなら生活そのものに満ちていた緊張感。たぶんそれだけ。
都会での生活は常に緊張感で満たされていると思う。
その緊張感が意識やサービスの向上に直結してるし人々は機敏でお洒落になる。
だけどそういう緊張感そのものが活力として意味を成すのは、何をしても楽しい若い時期や、
ビジネスや文化の最前線にいる人だけのように思えてならない。
少なくとも僕のように金も無く漫然と日々を過ごすような人間にとって、
その緊張感を味わう為だけに東京へ住み続けるのは生活コストが高過ぎるんだろうな。
だからTOTO Big1 が当たったら東京に別荘でも買うかな? という感じです。

ヒマをみては土地や中古物件を探しながら、どうするのかをカミさんと思案している。
その過程を僕の兄弟や友達へ報告する意味を兼ねて、ここへ少しずつ書いていくよ。
という事ですから温かく見守りたまえ関係諸氏。




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