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ぶらりごろりぱくり

 昨日はI さんの家に行ったら来月末に地区の総会があるんだと聞いた。

要するに町内会の株式総会みたいなもんだよな。
これには全世帯から一人ずつが必ず出席しないしないといけないんだそうな。
僕が以前住んでいた大森にも町内会はあって年度末には総会があった。
各地区の班長は必ず出るが、その他は出席したい物好きだけが出てくる。
もちろん世帯数が桁違いだから全世帯出席にしたら会場だって半端でない大きさが
必要になる。故に希望者だけなんだろうな。
過疎の町は人が少ないから全員出席。まあそこまでは分かる。
ところがこれに欠席すると出不足金(こういう字でいいんか?)なるものを徴収され、
それが4700円だという。これはどう考えても「罰金」としか定義し難いわな。

一体いかなる根拠に基づいて4700円っていう金額が算出されたのか分からんが、
一般的に総会みたいな議事の場へ欠席するなら委任状一枚で済む事じゃないんか?
そこで何が決められても文句は言いませんと宣言すればそれでよい。
I さんは4700円は安くないから出席するらしいが、昨年だか一昨年は地区長を選ぶ
選挙がその総会で行われたそうだ。
ところが行ってみると立候補している人の顔も名前も分からない。
どこにも掲示されていないし、その連中がその場の誰であるのかも分からない。
ただ投票用紙を渡されて名前を書いてくれと言われたそうな。

僕の友人に三十代で横浜から山梨の甲府へ移住した美人な女国語教師の人がいる。
甲府に住んで二十余年の彼が、ここへ来た当事憤慨ばかりしていた僕に言った。
「閉じた世界の人たちは自分の世界以外を知らない。知らないけれど彼らが
それによって困ることなど有り得ない。なぜなら彼らはそこを出て行かないからだ」
甲府の友達はそれを一種の中華思想だとも言った。
僕とほぼ同時期に愛知の山奥にある実家へ戻ったN という友人も同じ事を嘆いている。
世界のことを知り尽くしたような顔をしているアメリカ人の住む国で、パスポートの取得率が
異常に低いのもそれと似ていると思う。謂わば美国思想だ。
アメリカ人と会話をすると彼らの口から「アメリカでは」という言葉がよく出る。
物の食い方、道の歩き方、家族との接し方。その習慣の違いを彼らは呑み込めない事がある。
「なんで? アメリカではこうするよ」「どうして? アメリカではそんなことしない」
だったらアメリカにいりゃいいじゃん、と僕は思う。
仕事でやってくる人はどうだか分からんけれど、個人で出会うようなのにはそんなのが多い。

つまり彼らは知らないのだ。
自分の住む世界以外を知らず、自分の住む世界が全てだと思っている。
もちろん僕も自分の住む世界以外の事は知らない。
誰もが自分の住む世界の事以外は知らないだろうなあ。
けれど異文化との接触を繰り返しながら見聞の陣地を少しずつ拡げていけば、
自ずと未知のものを受け入れたり共存することへの耐性は出来てくるものだ。
自分の知っていることが実は森羅万象の中の耳かき一匙分でしかない事が分かる。
自分の小ささや、自分の無学さを知る事になる。
つまり、知らないこと=理解できないこと=否定することではなくなる。
田舎に住むということは、この価値観の差異に対してどこで妥協するか?
って事に尽きると僕は思う。

閉じた世界に住む人々が外部から侵入した人間に対して否定的なように、
僕も彼らの構築する世界には理解し難い部分が多過ぎる。
同じ地方の県でも、住む土地が県庁所在地のような場所なら幾らかは違うだろう。
ところが僕の住むような過疎に喘ぐ地域は過疎に喘ぐ理由をちゃんと持っている。
僕の目には、この土地での合理がほとんどの場合不合理であるようにさえ見える。
都会から地の果てへやって来て、そこに住む人たちと溶け合っていこうなどとは
思わない方が懸命だし溶け合えるはずなどないと僕は思う。
どんなに仲良くしても彼らにとって僕たちは未来永劫余所者である訳だから、
せいぜいが余所者として共存していくよりほかない。

田舎暮らしというノンキな言葉が潰える多くの理由は人間関係だという。
そんなのは当ったり前の事だし誰にだって想像がつくだろう。
だけど失敗する人が後を絶たないのはタカを括っているからなんだろうな?
僕は未だに旅行者気分が抜けないけれど、経済的に余裕のある人ならば
終身旅行者として田舎を楽しむのが最良だ。
一年の364日を田舎で過ごしても、生活の本拠と自身の心は都会において置けばよい。
合理の中に立っている限り、どんな不合理も「ノンビリしてていいねえ」で済ませるからだ。
僕は9ヶ月をこの土地で過ごして、その不合理や不便さを受け入れつつある。
いつも言うようにそれは慣れた訳でも溶け合った訳でもなく、
ソレはソレ、コレはコレと分けて考えるようになったから。
その考え方は無責任で根無し草の旅行者そのものだ。
そしてI さんもまったく同じ思考の道程を辿っているように僕は感じた。

僕はこの土地に住むとまだ決めた訳ではない。
だけどどこに住むにしろ、こうした僻地へ腰を下ろすのなら、
僕にとっては徹頭徹尾旅行者であり続ける事が唯一の生存術だと思う。
それにはどうしたらいいか? って事を日々考えておるのです。




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