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ぶらりごろりぱくり

昨日三島へ行った帰りにコーヒーを買おうとコンビニに寄った。
ローソンは自分でカップに注ぐんじゃなくて店員さんがやってくれる。
Lサイズのコーヒーを頼んで待っていると、60代くらいの女の人が入って来て
別の店員さんに何やら泣きついていた。
近頃じゃ見かけなくなったレザーの黒ダウンを着て下はジーンズ。
後ろから見たら40代。いや、ひょっとすると30代後半でも通用するか知れない。
でもお顔は紛れもなく60代。

髪もだいぶ白髪が混じっているけれど別段みすぼらしくもない。
僕は髪の手入れが手抜きになっている女の人を見るとがっかりしてしまう人だが、
その僕の眼から見ても全然手抜きには見えないちゃんとお洒落な女性。
で、その人が何を訴えているかというと、
「テレフォンカードが使えないんです!」
と手に何枚ものテレフォンカードを握り締めながら困り果てた顔をしていた。

今時公衆電話があるコンビニってのも珍しいと思うが、公衆電話は災害用に一定数の
設置が義務付けられているから在るところにはきちんと在るものだ。
だから本当に今時珍しいのは公衆電話でテレフォンカードを使おうとする人の方だろう。
「古いカードだと磁気が駄目になっていて使えないこともあるらしいです」
店長とおぼしきオッサンはひたすらそれを繰り返すばかり。
「何枚もお持ちなら使えるものもあるんじゃないですか?」
そう言われて半ベソ顔な黒ダウンの女性は再び外の電話機へカードを差し込み始めた。

僕がコーヒーを手に店を出ると、件の女性が手にしていた何枚ものカードを
地面に落としていて、それには気づかず懸命に緑色の電話機と格闘している。
彼女の足元にばら撒かれた数枚のテレフォンカード。
通り過ぎざまに目を落とすと全部郷ひろみのカードだった (T_T)

今、このご時世に公衆電話を使う理由はなんだろう?
彼女は引き出しの奥に眠っているテレフォンカードを使わないまま放置するのは
もったいないと思い、一念発起で車に乗ってコンビニまで来たんだろうか?
僕は停めた車の中で180円のLサイズコーヒーをズルズルすすりながら考えた。
郷ひろみのテレフォンカードが使えないと訴える一人の女について考えた。

僕は骨身に刻み込まれた昭和を愛すが、今の僕は紛れもなく平成28年に生きている。
好き嫌いや是非はともかく、僕は平成28年という現実をこの身に受け入れてはいる。
けれど彼女の髪形や、身に着けている服や、僕にはよく分からないが化粧道具の種類や
その使い方。そして何よりも郷ひろみのテレフォンカードから客観的推察をするに、
ひょっとして彼女の中の一番コアな部分は或る時代で止まってしまったんじゃないか?
そしてそれは彼女が一番輝いていた時代なのではないか? という気がした。

傍目にはどんなに奇矯でも、どんなに珍妙でも、そして誰かの眼には哀れにさえ映っても、
本人は永遠に幸せな時間を生き続けているのかも知れない。
僕はふと、認知症患者の生きる時空を超えた世界のことを思った。
それは今という瞬間に幻滅することの多い僕には多くの示唆を孕んだ生き様に見える。
僕がよく口にする温故嫌新という偉そうな言葉は、
実は珍妙で無様なタイムトンネルへの入り口なのかも知れない。
ちょっと足元を確かめ、温故知新でいようと、なんとなく、そんな気がした。
よろしく、哀愁。

Bertie Higgins - Casablanca




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