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ぶらりごろりぱくり

うちの近くに「やまも」という洋菓子屋さんがある。
「やまも」ってのはここいらの言葉で山桃のことだ。
別荘組や移住組ではない地元の人たちには古くから馴染みの店らしい。
引っ越して来た当初から朴訥とした屋号と飾りっ気ゼロの外観に魅かれて
そのうち買ってみようと思っていたんだが、店が少々車の停め難い国道沿いに
あるので今まで思い切れなかったのだ。
で、昨日初めて買ってきた。

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子供の頃に食ったケーキって正にこんなだったよな? という風体。
というかケーキじゃなくてあくまで洋菓子。
今時はパティスリーとか言うんか? なんだよパティスリーってw
昔はケーキを買うと白い紙箱に入れてから、小さく切った包装紙を当て紙にして、
絹を模したようなリボンを十字にかけてくれたよなあ。
もう、味も外観も値段もネーミングもまんま昭和高度経済成長時代の遠い面影。
以前髪を切りに行った美容師のお兄ちゃんが、
「お客さんには出せないけど、自分で食うなら絶対やまものケーキ」
と言ってた意味がよく分かった。あの兄ちゃん、寸分違わず真実を言い当ててる。

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ケーキ屋は宝飾店同様、人々に夢を売る店だと僕は思う。
もちろん青山や自由が丘でパティスリーとか自ら名乗り、欧州の古い街並みに似せた
蔦の絡まる店舗で、僕やお年寄りじゃ舌を噛んで注文出来ないような名前のケーキを
供する事も一つの夢売り行為には違いないんだろう。
僕が半年前まで住んでいた最果ての田舎町にもそういう店があった。
訳の分からないフランス語の屋号を掲げ、畑と田んぼの中に忽然と南欧風の店舗が
屹立するその様は、ある意味じゃ天から田舎町に零れ落ちた夢そのものだったか知れない。
けれどその店が売るケーキから感じ取るセンスの全てに、僕は夢どころか救い難い幻滅を
見た気がする。
つまり見た目も味も値段もネーミングも全てがインチキなのだ。
美学や知識や技術の勉強不足を、彼の店は衒学やギミックで誤魔化す類のインチキに
頼るしかなかったのだ。
夢を買うどころか、こんな夢なら見ない方がマシという類のものだったと思う。
だから僕はいつも隣町までケーキを買いに行っていた。

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けれどこの飾りっ気ゼロの朴訥としたやまものケーキは王道を行っている。
青雲高校の星飛雄馬が繰り出す混じり気なしの直球一本勝負。
スタッフが黒いTシャツを着たラーメン屋のような意味不明のこだわりもなく、
かと言って田んぼの中へ舞い降りた南欧風下手くそ手品な勘違いもない。
今やお爺ちゃんと呼べる領域に達した店主さんが、ケーキとそれを買いに来るお客へ抱く
無償の愛と、直向きな真摯さと、完全な自己犠牲の上に全てが成り立っている。
白衣に身を包んだ店主さんが洋菓子職人として生きた気の遠くなるような年月を背に、
名刺大に切ったボール紙へ中太の黒マジックで手書きした、エクレアでもエクレールでも
エイクレアーでもない生エクレ「ヤ」210円という右肩上がりの文字が輝いていた。

多分店主が他界したらオシマイ、という一代刹那主義の店が僕は大好きだ。
そしてそういう店が或る日ひっそりと暖簾を下ろすのを幾つも見てきた。
やまもはまだまだ大丈夫。
伊那のクロネコはどうかな?
連休明けには足を延ばしてみやふw




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