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ぶらりごろりぱくり

マクラーレン・ホンダ、シルバーストンで初走行を実施

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正直なところ、このニュースを読んでも心躍らなくなってしまった。
当たり前の事だけれど「あの頃」のマクラーレン・ホンダじゃないもんな。
ドライブするのはセナでもプロストでもベルガーでもない。
競う相手もピケやマンセルやアルボレートじゃない。
なんだか知らん可愛い女の子を二人連れてきて、
「新しいピンクレディーです」とか言われても「ああそうですか」としか言えんよ (T_T)

伝説の92年モナコGPファイナルラップ。
アイルトン・セナはラスカスコーナーで、今とは違うでかいリアタイヤをガードレール
1センチまで寄せた。ウィリアムズのマンセルはそれを外側から被せて挑んだ。
だけど今のホンダには、ともかく眼に見えない未踏の天上へ登りつめるんだという
採算度外視の大和魂は無いだろうし、無敵のマクラーレンに挑むナイジェル・マンセル
という狂気の荒法師もいない。
もしかすると新しいマクラーレン・ホンダはすごく強いチームになるかも知れない。
かつてを知らない世代の人たちは興奮するのかも知れない。

今の時代に鉄道ファンがいるように昭和40年代や50年代も「鉄」と呼ばれる人はいた。
人間や荷物の輸送が車よりも鉄道だった時代、いろんな色を塗られたいろんな車両が
全国の隅々まで毛細血管のように走り回っていた。
乗り鉄は分厚い時刻表を手に駅舎で夜を明かしながら旅をした。
撮り鉄は高価な銀塩フィルムに稼ぎをつぎ込んで旅をした。

国鉄がJRになり、路線は縮小され、車両はステンレスの外板に赤や青の線を引いた
だけになった。ホームの駅弁売りも、食堂車もなくなってしまった。
僕は時々、今の鉄道ファンは気の毒だなあと余計な心配をする事がある。
そしてその同じ余計な心配の目で、
エコでビジネスライクなF1と新しいマクラーレン・ホンダを見ているように思う。
あー、よく分かります、その心境。

でもそれ、何年か観続けていると慣れてくるかもしれません。
私の場合は、F1ではなく二輪ロードレースのmotoGPの話ですが、状況と時代推移はF1のそれと酷似してます。
一時期は私も全く同じ心境になりましたが、ここ2〜3年は楽めるようになりました。

なぜなのか…。

①各出場選手に親しみを持てるようになった。
②時代推移に自分が慣れた。
③以前よりも経営者または主催者側の心境を含めて観ている
④ファンとして、これからも魅力あるレースであって欲しい、と寛容な目で観てる。

でも確かに、昔のを観ると「あぁ、自分にはやっぱコレだな」と思います。
79〜84年のホンダは凄かった。
王道ではない楕円ピストンの4ストロークとか、3気筒2ストロークエンジンで挑んだ。
私がホンダ党になったのは、その影響ですし。






私の場合、
いちまる [] EDIT
こんにちは。

たぶん「寛容な目で見る」事が出来るうちは、
いろんなものに対して能動的でいられるんじゃないかと。
自分の価値や経験でしか物事を許容出来なくなったとき、
人は「老いぼれ」と呼ばれるようになるんだと思います。

だから僕は努めてソレはソレ、コレはコレと自分へ言い聞かすようにしている。
否定するんじゃなくて変化や進化を客観的に捉えようと努力している。
それでも音楽なんかは生理的に拒絶反応が出たりしますが、
やっぱりソレはソレ、コレはコレと言い聞かせて否定だけは公言しないように
気をつけていたりします。

僕が好きだったホンダはもうどこか時代の彼方へ消えちゃったのかも知れない。
でも、郷ひろみや由美かおるみたいにいつまでも変わらずにいたら、
それはそれで気味が悪いってのも一理ある。
そういう意味では舟和の芋羊羹なんてのも、いつの日にかは誰も買わなくなる
んじゃないかと思ったりもします。だけど新しい芋羊羹を舟和が模索し始めても、
僕は「そんなの芋羊羹じゃねえよ!」と言うんだろうな。
EL [] EDIT




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