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ぶらりごろりぱくり

土曜日はゴミの日。
朝6時前にゴミを車へ積んで、免許と携帯とカメラを持ってゴミ捨てに行く。
帰りに少しだけ遠回りして展望公園に駆け上がる。

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僕はこの町にも、ここに住む人にも、そして大分県にもあんまり未練はない。
けれどこの景色だけは思い出して懐かしく思うだろうな。
いつ行っても誰もいない、我が家専用と言っていいこの公園が一番好きだ。
四匹の兄弟姉妹ネコはここに捨てられていた。
あの日の夕方もここへ散歩に来たからあいつらと出会った。

この土地は本当の田舎だと僕は思う。
だから本物の田舎に住みたい人にとっちゃ正に桃源郷だろう。
僕が口にする本当の田舎とは、情報や物流や人の流れから遠く離れて、
閉じた世界の中で自己完結しているという意味を指している。
それはたぶん中上健次的なもの。「岬」や「枯木灘」や「地の果て 至上の時」
といった世界に根差すものだと思う。
同じ半島でも紀伊半島に比べて数分の一という面積が、中上健次の世界よりも
狭さと浅さと明るさを醸しているけれど、人やモノの流れから零れ落ちた地の果ての
気配は、田舎という言葉に快感を覚える人にはきっと心地良いだろう。
けれど僕には余りにも退屈過ぎただけだ。

伊豆に家を探し始めてからそこに住んでいる人のブログを幾つか読んだ。
不動産屋の若い営業さんや、やや御高齢な家の売主さんとも話をした。
彼らは例外なく首都圏から移り住んだ人たちで、彼らは例外なく伊豆を田舎だと
信じている。豊かな自然。ゆっくりと流れる時間。聴こえてくるのは鳥の囀り。
そんな言葉を誰もが決まって口にする。
僕も東京からいきなり伊豆へ越したならそう感じただろうと思う。
でもこの山の中で三年暮らした僕の目や肌に、とてもじゃないが伊豆は田舎と
映らない。空気からして歴然と街の匂いがする。

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滔々と流れる川の岸辺近くには、息を潜めるようにひっそりとした、「川溜まり」
と呼ばれるような場所がある。そこは流れ続ける本流のすぐ傍にもかかわらず、
速い流れを厭う呑気な生き物だけが住み着く閉ざされた世界だ。
外敵も居らず養分に富んだ温暖な水。
危険もない代わりになんの刺激もない世界。
地縁と血縁と利権だけを煮詰めた闇鍋のような世界。
それが地の果て至上の時という閉じた半島の先端なのだと僕は思う。
そしてそこは呆れるほどに長閑で美しい世界だ。

結局僕がこの土地で愛す事が出来たのは、今から二十年近く前に初めてここを
訪れた時に感じた、ため息の出るような空の広さと青さだけだったのかも知れん。




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