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ぶらりごろりぱくり

概ね半径1キロ内には隣人が1軒のみというド田舎の山中で、
その隣人の家にいた「しなお」というネコが行方不明なんだそうな。
こやつは我が家のひでじに怪我をさせた事もあるしょーもないネコで、
僕はしなおが現れると空き缶や石を投げつけて追い払っていたのだ。
何もこんな山の中でわざわざ人の家にやって来て、
よその家のネコを苛める事もなかろうにと思うのだがネコの考える事はよく分からん。

で、そのしなおが行方不明になってもう半月か二十日ぐらいが経つらしい。
去勢していないオス猫だから嫁探しの旅にでたのかも知れんが、
なにもこのクソ寒い時期に旅立たなくてもよかろうにな。
やっぱりネコの考えている事は分からん。
もしかすると最近ここいらを徘徊している黒ネコに追い出されたのか?
とも考えたが、だったら外に出ず家の中にいりゃいいじゃん?

しかしそのしなおも、最近徘徊の黒ネコも、我が家にとっては迷惑千万以外の
何物でもない訳で、こんな地の果ての山の中でさえ平穏を守るのは容易でない。
つまり「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という文言がいかに
机上の空論であるかを、単純明快なネコの世界でさえ証明していると僕は思う。
結局そういった迷惑千万な隣人や訪問者から身を護るのは自衛という手段しかない。
僕は我が家のネコに攻撃を仕掛ける余所ネコには、緊急スクランブルや威嚇射撃で
警告を発しているのだ。全てのネコに愛をなんて話は現実的ではない。
それは正に世界は一つ、人類は皆兄弟という荒唐無稽な夢物語に過ぎん。

だからと言って、僕はテリトリーを侵す余所ネコに対して必要以上の攻撃を仕掛けたり
はしない。お互いがお互いの領地や価値観を侵さなければ共存は可能だからだ。
だからあんなにも憎らしく忌々しかったしなおが行方不明だと聞くと、
何も出て行くことは無いのに、と正直に思ったりする。
平和というものは約束されるものじゃなく勝ち取るものだと思う。
全ての野良ネコや捨てネコや迷いネコを救う事なんて誰にも出来ないだろう。
だから動物愛護という言葉や行為に僕は胡散臭さを感じてしまうのであった。

寒い寒い年の瀬。
今日はマリアンヌ・フェイスフルの誕生日じゃないか。

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彼女の歌で僕が一番好きなのはこれ。
Marianne Faithfull - IS THIS WHAT I GET FOR LOVING YOU




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