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ぶらりごろりぱくり

しましまの目は緑色。母親譲り。

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カミさんの従妹が帰って行って、どこか祭りのあとの九月の初め。
昨日彼女を連れてI さんの家へ遊びに行って喋り過ぎた。
そのせいか今日は一日喉が痛い。
僕は日頃あんまり話をしない。
夫婦の会話がないという意味ではなくて、
勤めにも出ず近所づきあいも友達もないからだ。

人というのはともかく面倒臭い代物で、
この歳になって周りを見回してみると大抵何か問題を抱えている人が多い。
イギリスから帰ってきた彼女にも色々な問題があり、
彼女の実家にも色々な問題があり、
うちのカミさんの実家にも色々な問題があり、
そうして僕自身にもまた色々な問題がある。

幸運とか、不運とか、僕はそういうものを否定したりはしない。
けれど今日カミさんと話していたのは、僕たちが日々当たり前の顔をして生きている
人生なんてものをもっとずっと長いスパンで考えれば、運というものも実は因果応報
に過ぎないんじゃないか? という事だった。
悪因悪果。善因善果。
その日に選ぶ判断や行いの積み重ねが5年、10年、50年、100年、500年という
長い時間の中で運命と名を変え、今この瞬間には「不運」でしかない状況も、
実は何代にもわたって気の遠くなるほど長い怠慢を積み重ねた挙句、
たまたま今日産み落とされた結果なのかも知れん。

僕たちはきっと、難しい生き様を選び過ぎているのかも知れない。
僕たちはたぶん、分不相応なものを望み過ぎているのか知れない。
というような事を、僕はネコを見る度に感じてきた。
この頃しましまは、ぷーを目の敵にしてウーとかシャーとかやっている。
その理由が僕には分からないけれど、彼らがどんなにいがみ合ったとして、
漬物を食う音さえ我慢出来なくなる事はないだろうと思う。

もちろん僕は共産主義者ではないけれど自分を含めた周囲を見るにつけ、
裕福は人を惑わすものだ、という考え方を支持せざるを得ない。
しましまの目は緑色。母親譲り。
たぶん、しましまが先祖から引き継いだのは眼の色ぐらいなものだろう。
その簡潔さが幸福と不幸の定義を単純明快にする。
曰く、生か死か。

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弟の人、誕生日おめでとう (´・ω・`)




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