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ぶらりごろりぱくり

昨日、ネコを騙してキャリーケースに捕獲するのだと書いたら、
ネコってのは一度嫌な目に遭うとそれを二度と忘れないものなのか?
それともあっさり忘れて呑気に暮らすのものなのか?
と聞かれた。
で、ネコはともかく人間はどうなのだ? という話なんだけど、
色々と頭の中を整理して書こうと思ったんだが駄目だな。

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僕は一年と八ヶ月前に自分の本意ではなしに東京からこの山の中へ越してきた。
それは東京で暮らしていた頃に信じていた生活とか価値観みたいなものが、
或る日突然全く意味を成さない場所へ連れて来られるという珍しい体験だ。
たとえば莫大な負債を抱えた上に会社をクビになったとか、
詐欺に引っかかって全財産を巻上げられたとかいうネガティヴな理由や、
仕事を辞めて太平洋横断やペンション経営みたいなポジティヴな人でもない限り、
五十歳にもならんとする人間にこういうドラスティックな現象はあまりないと思う。

なぜイイ歳をぶちこいてからそういった人生の転機みたいなものを誰もが厭うのか?
といえば、おそらくどんな理由にせよ「現状に満足している」からだろうと思う。
満足という言葉に語弊があるなら「止むを得ず」と言い換えてもいい。
ごく一部の成功者と呼ばれる人たちを除けば、ほとんどの人は仕事というものを
基軸にして生活を構築している。仕事=収入=生活なんだから当然の事だ。
どんなレベルにせよ安定をしている生活をわざわざ投げ出すには、前向きであれ
後ろ向きであれ、そうしなければならない理由が必要な筈だ。

ただ僕は、漫然と満足していた筈の東京に戻りたいとは以前ほど思わなくなった。
関東甲信越に住みたいとは思うけれど東京に住みたいとは思わなくなった。
それが東京にいた頃の自分を俯瞰的に見て出た答なのかも知れん。
だからと言ってこのまま大分県に住みたいとも別段思ってはいない。
とてつもなく抽象的な言い方だけれど一年と八ヶ月山の中に住んで感じたのは、
田舎ってところは暮らすにはいいが住む所ではないかもな? ということ。
僕の中では暮らすと住むは同義語ではないのだ。

つまり僕は今、自分にとってどんな暮らしが最良なのかを考えている。
考えて考えて、死ぬまで答えが出なかったとしたら、
多分それ自体が答なのだろうという気がする。

今月の前半、僕は毎日カタカタとキーボードを叩いてた。
今月の後半、僕は毎日ネコの看病をしていた。
もう限界。
明日はちょっとだけ都会欲してくる。




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