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ぶらりごろりぱくり

昨日パソコンを直していた時に最近考えていた事とシンクロした。
パソコンはセントラル・プロセシング・ユニットという所謂CPUって頭脳が肝な訳だが、
このCPUは間違えて取り付けないようにこんな細工がしてある。

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これは何世代も前のCPUだけどネットに落ちてた写真を無断借用 (´・ω・`)
白い丸印の付いた所だけピンが一本多くなってて、
このピンを合わせないとマザーボードへ挿し込めないようになってるのだ。

僕がこの頃ずっと考えていたのは食習慣と味覚についてで、
こっちへ越して来てから外で何を食っても「美味しいけれど何か違う」という、
なんとも名状し難い煩悶に晒され続けて来た理由なのだ。
この前タイ料理を食いに行って、そのあと弟が送ってくれたシウマイとくずもちを食って、
なんだかふいに開眼したような気がした。
それはつまりCPUに一本余計に付いているピンのようなもので、
このピンに合わせてジャストミートしたものだけが「おいしい」と100点満点を取るのだ。
九州で蕎麦を食ってもトンカツを食っても生姜焼きを食っても満点が出せないのは、
たぶん一本だけ余計なピンを無視してCPUを無理矢理嵌めたからなんだろうと思う。
数日前にツイッターで大分にはタンメンが無いとかなんとか言っていたんだけれど、
別に大袈裟でもなんでもなくて大分県にタンメンという食い物は無いと思う。
あったとしてもそれは僕の眼から見ると白濁していないスープのチャンポンであって、
横浜日ノ出町にある三幸苑のようなタンメンとは別次元のものです。
つまりタンメン=チャンポンみたいな考え方があって、タンメンという概念そのものが
存在しないんですな。これは関東の立ち喰いソバ屋が真っ黒なつゆにうどんを投げ込んで
平気で客に供するのと同じ感覚なんだと思う。
下の写真はいちまるさんという有名な方から拝借したものなんだが、

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大分県に於いてこの写真と同じものを食う事は不可能だと僕は思う。
つまりこれが530円で食える東京とかいう街は僕にとっての桃源郷だ。
殊に大衆中華みたいな分野における食文化と味覚はあまりにも歴然と違う。
鶏ガラ醤油のラーメンなんてまず食えないし、でかいスーパーへ行っても売ってない。
売ってても一種類か二種類であとは全部トンコツか味噌味。
大分の県庁近くに関東風な「五目そば」で有名な留園という店があるらしく、
ネットで写真を見ても見てくれは正に関東の五目そばに違いない。
で、この前行ってみた。結果→かなりおいしいんだけど全然別次元の物。
麺も太い縮れ麺じゃなくて真っ直ぐな九州麺だったしね。

そして僕の大好きな「野菜炒め」はそもそもメニューにあんまり見当たらない。
あったとしてもチャンポンの上に載ってるキャベツともやしとカマボコを炒めたようなやつ。
ラードと醤油で香ばしく切れ味抜群に炒めた野菜炒めはきっと少ないんだと思う。
たとえば「大分 野菜炒め」で画像検索してみれば関東と色合いの違いが分かります。
関東の野菜炒めは茶色いけどこっちのは白いのだ。正に食習慣の違い。

いつもお世話になってるI さん夫妻の旦那さんは山梨の人。奥さんは京都の人。
料理は奥さんがするのでカレーも肉じゃがも牛肉以外あり得ないと言っていた。
僕は豚肉以外あり得ないと思うけれどこれが習慣に培われた味覚の違いだよな。
この頃はそういう違いを楽しむ余裕も出て来たけれど、やっぱりジャストミートな
味が狂おしく欲しくなる時もある。
自分で作ればいいのか知らんが僕は買い食いが趣味なのだ。

けれどこういった食習慣をロードローラーで一気に地均しするのがジャンクフード
と言われる一連の食い物。もしかするとあの手の店にも地域性はあるんかな?
だけどバーガー喰っても牛丼喰ってもジャストミートだったぞ。
つまりこの土地に於いて僕のCPUにマッチするのはジャンクフードだけなのか。
と嘆きながらも外来種が在来種を根こそぎ淘汰していく様を、
正にまざまざと見せつけられたように思います。

ちなみにケーキとかパンってのはかなりボーダーレスみたいですな。
醤油も味噌も使わないからか・・・。
こんばんは。

そう言われて改めて見てみると、たまらなく美味しそうに見えます。あの野菜炒めとラーメン。

確かに美味しかったです、当たり前に。
でも当の本人は、そう言われるまではありがたみをそこまで感じていない。

あの鶏ガラ醤油ラーメンの定食を好きな時にありつける自分は、その部分ではえるしのあさんより幸せなのでしょう。
でも、今は食べられないけどその価値が分かるえるしのあさんと、今は何時でも食べられるけどその価値に気付かない自分とでは、「うーん、どっちが幸せなんだろう?」って考えちゃいました。

嫌われるけどそれを気 にせず悩まない人と、好かれるけれど本人は気疲れしてもっと自由奔放になりたい人と、どっちが「本人にとって」幸せなんだろう、って考えてしまう時が最近よくあります。

うーん。似ている気がする。

ところであの¥530は、サービスデーの価格で、普段は¥600台らしいです。
それでも大満足。
そんな金銭感覚なもんだから、例えば台湾とか韓国とかで市場に繰り出すと、その物価の安さに感激してしまう。
でも、現地の人は、そこまで感激していないでしょうね。
そうか、そういう事か。
なるほど。。。


いちまる [] EDIT
失って はじめてわかる ありがたさ

だと思うんですよ。
でもこの数日考えていたんだけど、
醤油ラーメンや野菜炒めを失ったのは自分の周りと中だけで、
醤油ラーメンと野菜炒めがこの世から消えた訳じゃない。
だからその気になれば飛行機乗って食いに行けるじゃんってこと。

でも親孝行したい時に親は無しみたいな場合は深刻だなあって思った。
例えば昔喫茶店で食えたようなケチャップでギトギトのナポリタンとか、
高級品になる遥か以前に乾物屋で売ってた佃煮とか干物とか煮豆とか、
一番悲しいのは爺ちゃん婆ちゃんの代で店仕舞いしちゃった食堂とか、
もう幾ら金を出しても食えないようなものが沢山ある。
だから今この時に食えない事を嘆くんじゃなく、
或る時代や或る土地でそれが食えた経験だけでイイじゃんか? なんて考えてました。

「嫌われるけどそれを気 にせず・・・」ってくだりはいちまるさんの事ですかね?
憎まれっ子世に憚るとか、無理が通れば道理引っ込むとか、
結局厚顔無恥でいられれば嫌な事もつらい事も少なくて済むように思う。
なんとか調和しようと努力するから軋轢でこっちがやられちゃう。
だからふいに我に返って、そうだ、旅に出よう!
なんて逃避行動に走ったりしちゃうんじゃないかと。

あと僕がこっちで堪えてるのは立ち喰いソバ屋がない事です。
これかなり苦痛。
EL [] EDIT




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