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ぶらりごろりぱくり

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米を買ってきた。
これは我が家では極めて珍しい買い物なのですな。
うちはこの十数年、米を買った事はほとんどなかったけれど昨年の地震の時に
運悪く米が切れていて、ところが都内の店には全然置いてないんで仕方なく通販で
安曇野の米を買った。大抵はカミさんの実家から送って来る米を食べていたから、
自分で金を出して買うなんて事は久しくなかったのであります。

東京に送ってもらってた米は田んぼを貸している人からの年貢米なんだらしいが、
僕はその辺りの事情については詳しくは知らないし知りたいとも思わん。
で、昨年こっちへ越して来て、初めて年貢米の納入量を眼の当たりにした。
よく覚えていないけど30kg (一俵?) 入りの袋が10袋以上あったと思う。
この家では毎年一年じゃ食い切れないぐらいの米を納戸に抱えていて、
新米が届いても古い米を食い続けるという理解不能な状態なんだそうだが、
今年はどういう訳か昨年の米が底をついたらしい。
それでめでたく今回の米購入となったのです。
年貢で納められる米は不味くて食えんよと言うなら話は変わってくるが、
ものすごく美味しい訳でもないけれど不味いなんて事は全然ない。
だから僕は十数年、この土地で採れた米をずっと食い続けてきた。
だけど昨年安曇野の米を買ったら目が覚めるほどうまかった。
ああ、やっぱり美味い米ってのは違うなあとシミジミ思ったですよ。
それでもやっぱり安曇野の米が終わった後はこの町で採れる米を食っている。

我が家で一年間にどれくらいの米を食べるのか試算してみた。
僕とカミさん二人だけの生活で米を炊くのは二日か三日に一度。
一回に炊く量は二合だけど一合半の時もある。
だから大体二日半に二合だと思っていれば間違いない。
そして米一合の重さはおよそ150gなんだらしい。
つまり我が家ではこれだけのコメを一年間に食べる。

30日÷2.5日=12日、12日×150g=1.8kg、1.8kg×12か月=21.6kg

ということは30kg入りの袋が一袋あれば超余裕で一年間持つわけだから、
毎年収められる年貢米のうち一袋を貰えれば翌年まで米は要らない。
平均的な米の値段1kg400円だと年間約12000円のお金が浮く勘定だ。
いろんな米を食う楽しみは殺がれてしまうが、12000円で別な物が買える。
それをどう捉えるかは人それぞれだと思う。

こういう単純な計算をすれば自分たちが一年間に食う米の量など容易く分かる。
だったら年貢米が届いた時、明らかに食い切れない分は売るなり誰かにあげればいい。
と僕個人の価値観は疑うことなくそう告げている。
売るにしたって採れ立てのオイシイ時期なら価値も高いし、人にあげるならあげるで
美味しい方が喜ばれるのに決まっている。
そうして万が一、次の新米までに足りなくなったなら足りない分だけ買えばいい。
ところが農家の人の考え方は断じて違うらしく凡そ食い切れないほどの米を抱えて、
やっぱり結局は食い切れずに新米が届いても残った古い米を黙々と食っている。
これは畑で採れる大量の野菜と全く同じ価値観に基づくものだと僕は思う。

一粒の米だって、一本のナスビだって、
たとえ食われる為だけにとはいえこの世に生まれて来たからには、
せめて食われた時に「おいしいね」と言ってもらえれば成仏できるだろう。
僕はカミさんとよく話すのだが、食い物を美味しく食べるという行為の中には、
調理法だけではなく食物の尊厳に対する感謝や愛情さえも含まれていると思う。
食べ物を粗末に扱うことと、食べ物を餌として扱うことを混同してはいかんですよ。
届いた新米を積み上げたまま手を付けず、黙々と一年前の米を食い続ける姿は、
僕の眼には食べ物を粗末にしているようにしか見えないのです。
僕はやっぱり何があろうと、「食在少量」を貫こう。

大分産ひとめぼれの感想はまた今度。




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