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ぶらりごろりぱくり

0001.png 僕は一昨日からネコにとっての幸せとか心地良さみたいなものを考えている。

ネコの心地良さと人間の関わり方について考えている。
以下、自分の頭を整理するために書いた長文です。
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うちにいる四匹は生まれたときから誰かに育てられ、その誰かが世話をするのに飽いて捨てられたんだと思う。だから初めて会った時も人間を怖がらなかったし、僕の後について来て、そのまま家に上がり込んで住み着いてしまった。毎日窓から外を眺めているけれど別段網戸を破って出て行こうともしないし、網戸を開けてやれば出て行くだろうけど、寒かったり雨が降ったりお腹が空けば戻って来ると思う。
だから彼らにとって今の生活状態は居心地が良いのだと思いたい。僕は少なくとも、彼らが嫌がる事や苦痛に思う事を強いた覚えはないから。そして僕はそのネコたちに何かをしてもらいたいと望んだ事もなく、ただ彼らの生き様を見ているだけで十二分にシアワセだ。
つまり僕とネコたちとの間には、お互いにとって良好な妥協点が見出せているのだと思いたい。

二世帯住宅の片割れに住んでいる義兄の家では室内犬を飼っている。前にも書いたけれど、この犬は座敷牢に住んでいて牢から出るのは三日か四日に一度。それも一時間か二時間だけ。カミさんが見かねて週に一度は散歩に連れて行くが、それをやらなきゃ一ヶ月か二ヶ月に一度くらいしか家の外には出してもらえず、たまに水やフードが無くなっていたって誰にも気づいてもらえない。
なぜ室内犬が室内で自由に歩き回れずに座敷牢なのかと言えば、放しておくとそこいらじゅうにオシッコをしたり、部屋にあるものを噛み破ったりするから閉じ込められているんですな。だけど子犬の頃からきちんと躾をして、飼い主は勤め人でもなく中一の息子は学校から帰ればマンガやゲームでゴロゴロしてるんだから、朝夕だけでも散歩に連れ出してやれば家の中を荒らしたり粗相をする事なんてないだろうし、気が狂ったように延々と無駄吠えをする事もないと思う。
家人たちは部屋の中でオシッコをされると困るらしいのだが、座敷牢の中でどんなにトイレシートが汚れていても気にならないらしく、部屋の中全体が異様な匂いに包まれている事もある。犬自体も年に数回しか洗わないから臭いし夏場は特に凄まじい。そして家人たちはそんな臭気をものともせずに、その部屋で一日三回食事をしている。

客観的に見ている僕の眼に、その光景は放置という名の虐待としか映らない。だけどここからが実に微妙な話で、家人たちは誰一人としてそれを虐待だなんて思っていないし、それどころかペットとして飼っている犬を「可愛がっている」という意識すらあるように見える。
だって年に数度はトリマーの所へ連れて行ったりするんだもんな。そしてもう一つ大事な事は、犬自身が現状の生活にどの程度の不満や不平や苦痛を持っているのか? ということ。
生活環境は人それぞれだし、その家庭固有のものだ。上を見ても下を見てもキリがないし比べる事にも意味が無い。座敷牢に住んでいる犬が、そりゃあたまには忘れられる事もあるだろうが一応一日二回の食事にありつけ、散歩は数ヶ月に一回しか出来ないけれど暑さ寒さや危険からは隔絶され、病気にならないように毎年予防接種を受けさせてもらえる。
犬に面接した訳じゃないから犬が何をどう思っているかは分からないけれど、座敷牢に幽閉されて何日もトイレシートを替えてもらえない事に目を瞑れば、理由もなく木刀で叩かれる訳でもなく、川へ投げ込まれる訳でもなく、水や食べ物を与えられない訳でもない。
人間の憎悪や鬱屈した欲望に苛まれる事もなく、保健所に送り込まれて殺される訳でもない。きっとあの犬は病気になれば獣医へ連れて行ってもらえるだろうし、その上で寿命を全うして大往生するんだと思う。それがシアワセなのか不幸せなのかは犬自身にしか答えられない事だ。
つまり義兄の家族と犬との間にある妥協点がどこに在るにせよ、そこへ引かれた線が傍目にはどんなに危うい線であろうと一定の均衡が保たれているのだと僕は思う。
それは例えば犬やネコにブランド物のベベを着せて、あるのか無いのか知らんが一食5000円くらいのフードを毎日食べさせてブクブク太った犬ネコの暮らす環境が、傍目にはどう映ろうが飼い主と飼われる動物との間で均衡を保っているのと同じように見える。

で、僕がどうしてそんな事をこの三日間考えていたかといえば「くつした」と「しましま」の事なのだ。クロがあんな悲しい事故に遭って半月も経たないうちにしましまがいなくなった。運よくしましまは無事に帰って来たけれど「外で飼う」という事が彼らにとってどういう意味を持つのか? 危険だからという理由で僕の家に閉じ込める事を彼らがどう感じるのか? それを考えていた。
僕は、あの飄々と野山を駆けるクロを室内飼いする勇気は無かった。雨も雪もまったく気にしなかった女スナフキンを部屋に閉じ込めるなんて出来なかった。
以前、くつしたの一家を廃倉庫へ引っ越させていた頃に匿名のメールを貰った事がある。その人は「ネコは基本的に室内飼いするべきだ」と強い調子で僕を非難しているように感じた。その理由は外飼いにすると病気の蔓延を誘発すること。不妊手術をしなければ無用な繁殖を招くこと。そして糞尿などによって近隣に迷惑をかけるからだという。
僕は彼女(文面から女の人だと思った)に反論も弁解もせず無視したけれど、半径二キロ半に人家の無い山の中と、人家の密集した住宅地を同じモノサシで測ることは無意味だと思う。東京に住んでいた頃に暮らしたネコたちは全て室内飼いだった。
物事に対する対応とは常に相対的であり自己修正的なものだ。
一時間歩いたって誰にも会わないような場所に於いても病気の蔓延や、無節操な繁殖や、生活環境への被害といった理由で尚もネコの室内飼いを主張するのであれば、まずネコよりも先に全人類を一生涯室内へ閉じ込める方がよほど建設的だと僕は思う。そうすれば病気の蔓延どころか犯罪や戦争すら起こるまい。それでも尚、閉じ込められた家の中で子供を虐待する人間の方がよほど愚かで凶悪なのに違いないじゃないか。
もっと言えば、うちの周りの山にはそこに生きるネコの数倍、数十倍、数百倍の野生動物や虫や鳥がいる。彼らの持つ凶悪な病原菌、山林や畑に対する攻撃、留まる事のない繁殖は放置したままネコだけを室内で飼う事に一体どんな意味があるんだろうか? 僕に非難のメールをくれた人の目には競走馬用の遮眼革が付けられているように思う。つまり、彼女はただひたすら木を見ているだけで森を見てはいない。

僕は僕の責任においてネコを管理するけれども、ネコのシアワセや心地良さは極力守りたいと思っている。僕はネコ至上主義者ではないけれどネコ優先主義者だ。自分の都合や自分の満足の為にネコたちに何かを強いる事はしたくない。なぜなら、ありのままに生きるネコの姿が一番美しいと思うから。クロが死んで、僕はくつしたとしましまを保護するかどうか考えた。彼らがそれを望むだろうかと考えた。
僕が何度も何度も足を運んだタイの地方都市や郊外の集落では、ネコや犬や牛がありのままに生きている。ペットという個人所有物としてでなく街や集落の中に渾然と、人間と一体化して暮らしている。どの犬もどのネコも痩せている。高カロリーのペットフードで肥満したネコなんかいないし、ブランド物の服を着たネコもいない。だけど軒の日陰や、蘭の花が浮かぶ水桶や黄金樹の葉陰で昼寝するネコや犬たちは、誰も皆くつろいで幸せそうに見える。誰も彼らに石を投げたりはせず、誰も彼らを追い回したりもしない。
町の中にいるネコや犬に誰もが餌をやるが、少ない食べ物を人間とネコと犬が分け合って生きている。無用に長生きする事もなく無用に肥満しているネコもいない。ただただありのままに、人間や鳥や虫と同じようにネコも犬も生きている。全ての生き物が過剰に優遇される事もなく、虐げられる事もなく一つの社会を形作っている。
僕がこんな山の中に住処を構えるのであれば、あのタイの集落のように、僕も、カミさんも、そしてネコたちもありのままに暮らせれば楽しいし幸せだと思う。裏返して言えば、そんな生活を実現出来るのは人里離れた山の中の一軒家だからだ。

ネコにとってみれば天気の良い日は野山を駆け回り、メシを食う時と寝る時だけは安全な家の中で暮らすのが至上の心地良さだと思える。寒い日や雨の日は家の中にいればいい。たまに遠出をして数泊家を空けても、帰って来ればいつでもキャットフードが待っている。食う心配もなく、寝床の心配もなく、ただ好きに遊びまわっていればいい。
それでも自然のままの山の中には危険がある。猛スピードで行き交う自動車はいないが、肉食の野生動物や毒を持った植物がある。鳶や鴉のような大型の鳥類も多い。クロの身に起こったことが、いつまた繰り返されるとも限らない。だけどそれは自由を謳歌する彼らにとってのオウンリスクだ。

僕はオートバイが好きだけれども、バイクって乗り物は200キロ近くのスピードが出るくせに、クルマとは違って乗り手に依存しなければ自立すら出来ない不安定な乗り物でしかない。けれどその不安定で危険なリスクと引き換えに、クルマでは決して味わえないような喜びを与えてくれる。
危ないから。
ただその一点だけを理由に挙げてバイクを奪われ、どこへ行くにも全てクルマと公共交通機関での移動を強いられたら僕は嘆くだろうと思う。肉体的にも精神的にもバイクに乗るのがしんどくなれば、自主的に降りると思うが他者から奪われるのは苦痛なのに違いない。
クロや、くつしたや、しましまにとって、生まれた時から駆け続けて来た野山は僕にとってのバイクと同じように見える。彼らを家の中へ閉じ込める事は、彼らにとっての「ありのまま」に人間の傲慢を強いる事になりやしないか? と考え続けている。
僕は、そう思案しながらくつしたとしましまの顔を思い浮かべています。




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