見るだけ

今はどうだか知らないけれど、かつてはアジアの怪しげな歓楽街や観光客相手のバザールを歩くと、「シャチョサーンミルダケ!」とよく声をかけられた。それはつまり「社長さん、見るだけ見て行ってよ」という意味なんだが、一体誰があんな楽しげなセリフを広めたんだろうか? と前置きしてみる。

このブログがいつの間にか猫ブログに成り下がってしまったのは、きっと僕の日常がそれ以外に何もないからなんだろうな。
ところどころ途切れた時期はあるものの、40年近く猫と暮らしてきた僕にとって、もはや彼らの存在は自分の生活に不可欠なのかも知れん。
でもね、実を言うと僕は猫と同じくらい車が好きなんですよ。しかも猫好き歴40年に比して、車好き歴は50年にならんとしているのだ。

20190531_798.jpg

そんなクルマ好きの僕がクルマ好きの集まりに参加したり、クルマ好きの人と一緒にいても、楽しいどころか苦痛でしかなかったのは、たぶん同じクルマ好きでも価値観とか向かい合い方が違うからなんだと或る時期に気づいた。そしてそのことに気づいて以降、僕は誰かに対して「車が趣味です」なんて言葉を安易に口にしなくなった。
僕はクルマを速く走らせたり、景色のいいところをドライブしたり、あるいはそこいらで売っているパーツを買って来て、あれこれ付け替えたりすることにはほとんど関心がない。じゃあどういう楽しみ方で僕はクルマと向き合うのか?

答は見るだけ。
シャチョサーンミルダケ! ミルダケ! の見るだけなんですな。一番好きなのは家の中から駐車場に停めてあるクルマを眺めること。もしくは出かけて行った先の安レストランで、680円のハンバーク定食かなんかを食いながら窓越しに自分のクルマを眺めること。僕にとってクルマは1にデザイン2にデザイン。34がなくて5にデザイン。
こういう事を口にすると、所謂「車好き」な人たちは皆一様に不思議がったり残念そうに溜息をついたりする。だから僕は誰にもクルマが好きだなんて言わなくなった。
でもね優れたデザインに内包されたものは、大抵の場合が健全で普遍的なコンセプトなのだと僕は思う。

20190531_514.jpg

そしてこの「シャチョーサン、見ルダケ」という愉しみは猫に対しても同じことが言える。僕は猫たちにおかしな被り物をさせて写真や動画を撮ったりはしないし、玩具を使って一緒に遊ぶようなこともほとんどしない。キャットフードに拘ってあれこれ取り換えてみたりもしない。
ただ彼らがありのままに暮らしているのを見ているだけ。全身全霊を込めて徹頭徹尾見ているだけ。それが僕の彼らに対する接し方であり愛し方なんですよ。

20190531_129.jpg

猫たちやクルマが調子を崩した時だけちょっと手を貸す。負に傾いた座標をゼロの位置まで押し戻したら、もうそれ以上は助けもしないし干渉もしない。見ていること、眺めていることだけが至上の喜び。
僕にとって共に暮らすという意味は、奥さんでも猫たちでも車でも、余計な干渉をせず、お互いのペースや価値観を尊重し、困った時だけ黙って手を貸すということなんだな。

文句があっても大いに結構。幸せは人それぞれだから。


病む男子

次男のひでじ。3月の終わりにどこかの放浪猫と大喧嘩をしてきて、なんだかあれから様子がおかしいんじゃないか? と思うのは僕の見方にそういうバイアスがかかっているからかも知れん。

20190528_032.jpg

何かおかしな病気をうつされたのならもう既に症状が出ていい筈だから、たとえば猫エイズやらの重篤な病気ではないと思う。けれどどんなに気を使い過ぎても無駄に終わるってことはない。まあイイか、まだ大丈夫か、というのが後悔の種になるんだよな。
この2ヶ月くらいの間、粘り気のある鼻水とくしゃみを定期的に繰り返す。一旦は収まるんだけど、またしばらくするとぶり返すみたいな。

一昨日くらいからまた調子が悪くなってイマイチ元気もない。
ということで今日は病院へ連行。僕は外仕事だったんで奥さんが赤フィットでひでじを連れて行ってくれた。やっぱり二人いると何かにつけて心強いですな。ともに白髪の生えるまで助け合っていきましょうってかんじ。もう白髪生えてるけどよ (T_T)

20190528_025.jpg

3月に三男くつした。4月に長男しま兄。そして今月は次男ひでじとボーイズは全員病院行き。医者の見立てだとひでじは風邪ではなく鼻炎。しま兄と同じでネブライザーやってもらったけど、しま兄のレベル4に比してひでじはレベル1。大袈裟な病気じゃなくて一安心。たんまり薬を貰ってきたから頑張って飲もうな。

きみらが元気なら僕はなんも要らんのだ。

げんなりする

先週初めから仕事が詰まってるのと、暑さのダブルパンチで完全にげんなり。毎年毎年「史上初」みたいな言葉の大安売りで、世界がどんどん熱せられ壊れていくように思う。

20190526_879.jpg

理由はなんであれ僕は暑いのが大嫌い。
気温20度を越したらもうやる気ゼロなんですよ (T_T)
出かける時は厚着の上着を羽織るくらいがちょうどいいし、寝る時は毛布と布団をかけるくらいがいいかな。

20190526_019.jpg

嗚呼。明けない夜はなく止まない雨もない。
だから終わらない夏もないと信じて季節を待とう。
早く赤トンボを連れた秋がやって来ないかな。

さあ爪に火を灯そう

一年半ぶりで蓼科宴会に行ってきた。

僕は近頃、人と会うのが億劫だとか苦手だとか疲れるだとか可愛げのないことのたまっていたが、やっぱり一年半ぶりというのは腐れ縁の中にも一抹の新鮮さをもたらしてくれるようですw 
友人との再会だけでなく、やっぱり食べるものも着るものも、髪型や部屋の家具の配置みたいなものまで、たまには目先を変えてみることは必要なんだな、と再確認してみたりもした。

昨年一年間、僕はまったくどこへも出かけなかった。うちの奥さんは居候している従姉とちょこちょこ遊びに出かけたり、そのうちの何度かは一泊旅行もしたけれど、僕は国東へ幾度か足を運んだ以外は外出ゼロ。一年半で4回行った国東も、そのうち3回は母堂の入院と葬儀の為だったしね。
昨年の4月に車検を取ったロードスターが今年の4月までに走った距離は400km弱。これは伊豆半島を2周しただけでしかない。

でもそうやって外出もせず車の走行距離も増えなかった理由の一つに、昨春から始めた外仕事の影響があったと思う。だって週に3日、車で伊豆半島全域を走り回っていたんだからなあ。奥さんとドライブに行ったってどこへも寄らず、ただ走って帰って来るだけの僕には良い仕事だったよ。
と過去形で言うのは来月からその仕事も打切りで、再び家での家内制問屋工業に立ち戻るからなのだ (´・_・`)

今年は奥さんの仕事もちょっと減って、自営だから仕事が減れば稼ぎも減る訳だけれど、仕事が減って嘆くよりは空いた時間で生き生きと遊んでいる彼女を見る方が、僕にとってはどんなに嬉しいことなんだろうか。仕事なんてまたいつか巡り巡って転がり込んでくるものさw

20190521_002.jpg

だから猫ちゃんたち、病院行きにならんでくれよ。

猫と語るだけで十分かな

5月だというのに寒くて雨のさえない朝。
だけどそんな天気は伊豆半島だけなんだよ。ライブカメラを見るとどこも明るく晴れているじゃんか (T_T)
駿河湾の桜エビ漁が解禁になったんで食べに行こうか? と奥さんと話していたんだが、雨がしとしと降ってる日に行っても楽しさイマイチなので自粛中。そのうち爽やかに晴れるでしょ、皐月なんだから。それに桜エビだって生じゃ食わんから別に冷凍モンだってオレは構わんしw

20190515_630.jpg

春爛漫な春も続かず初夏になり、初夏らしい爽やかさもなく梅雨になるんだろうかね? 一週間くらい前にホトトギスの雛みたいな鳴き声を聴いたきり、あれから10日を過ぎても一向にテッペンカケタカと声がしてこない。今年はやっぱり寒いんか? いつもならもうそろそろ夜明け前に夏告鳥の声がするんだけどね。
夜が明けてくる直前の、薄闇の中で聴くホトトギスとヒグラシの声は、早起き人だけが味わうことのできる夏の風情なんだよ。

20190515_014.jpg

さて、このひと月くらい我が家の猫さん共が入れ代わり立ち代わりに調子を崩して、鼻水やくしゃみが出たり、声が枯れたり食欲が落ちたり。おまけに喧嘩で怪我したり。ホントにこういうのは心臓に良くない。もう全員が8歳だから人間でいう成人病が出ておかしくない歳だし、猫エイズ陽性もいるから時限爆弾なんですよ。

20190515_729.jpg

尿道結石だったくつした以外は、どうやら長男、次男、長女が順繰りに風邪を引いたらしく、各自一進一退を繰り返しながらここへ来てようやく元気になってきた。
猫のくせに猫嫌いで、いつも一匹だけ2階の奥さん部屋で生活している次女だけは別居が功を奏して感染を免れた様子。ふーん、そういう事ってあるんだなあと思ってしまった。

猫たちが変わりなく元気でなけりゃ、僕はどこかへ出かける気にもならず、無理に出かけても家に残した彼らのことが気になって楽しめない。
みんな復調したようだから、今週末の蓼科宴会は憂慮なく楽しんで来られるようなそうでないような。というのも、もともと下戸の僕は、近頃酔っ払いの相手をするのが苦痛でならない。以前はそれほどでもなかったんだが歳をとって我慢の限界が下がったんだろうか? 酔っ払いの支離滅裂な話に耳を塞ぎながら、どうして自分はここにいるのだろうと自問してしまう。まあいいか。

人々はなぜ酒を飲まなきゃ話が出来ないのだろう?
僕はもう、猫とだけ語っていたい。
John Williams - Cavatina

クレマチス咲いてゐる

今週末は2年振りくらいで信州の蓼科へ友だちと会いに出かける。15~6年の間ずっと春と夏に集まっていたんだが、昨年の春に使っていたキャンプ場が廃業したのを機に立ち消えになっていたんだよね。
そのとき自分を含めて誰も代替地を探さなかったから、きっと誰もが「潮時」だと思っていたんじゃないかと僕は思った。そしたらそのキャンプ場がリニューアル開業したんで僕らの宴会も再開したというわけ。

以前は信州へ行くことが決まったら、もう新緑の稜線を思っただけでワクワクしたものだ。けれど今じゃあの頃に感じたトキメキみたいなものはもう微塵もない。だって山だの海だのは、どこへ行ったって自分の住んでいる所と似たり寄ったりなんだからね。
人間到る処青山あり。
僕はその言葉をよく国東で呟いていた。今は庭の隅に座って猫の背中を撫でながら、国破れて山河ありと自分に囁く。きっともう、東京にも横浜にも戻らないだろう。それは清々しくもあり、どこかザマアミロという気がしなくもない。信州の山河には心ときめかなくても、まあ友達に会いに行くと思えばいいではないか。

20190513_238.jpg

庭で白い花を見つけた。
草取りをしていた奥さんに聞いたら、クレマチスという花なんだそうな。クレマチスか。なんとなくどこかで聞いた名前だったか知れない。
こういう大輪の花はあんまり好きじゃないんだけれど、庭の木陰へひっそり咲いた姿と、死装束のような純白さに他界した国東の母堂を想った。
花言葉は美しい心。そういえば嘘や狡さなんてものとは無縁な人だったな。昨日は奥さんがポテトサラダを作った。それは昨年義母が作った最後のジャガイモ。今日僕はそれを食いながら、白いクレマチスの大輪に母堂の顔を重ねている。

キーボードの横で、長女が寝息をたて始めた。

もうすぐホトトギス

大渋滞で身動きの取れなかい連休中から、ずっと食べたかった釜揚げしらすを買ってきた。伊東港の真ん前にある漁師さん直営の店。

20190510_105.jpg

もうね、そんなに要らないよっていうぐらいたくさん入ってて、とても1回じゃ食べきれない。だから翌朝はしらすオムレツにするよ。んー、コレだよコレみたいな美味さなんだけども、相模湾で獲れるのと駿河湾で獲れるのとじゃ微妙に味が違うんだそうな。今度は沼津で駿河湾産も買って来て食べ比べてみようかしらね。

20190510_006.jpg

僕は小ぶりなしらすが好きなのだ。育ち過ぎたでかいのは嫌いだよ。
伊東産の白飯へ厚さ3センチぐらいしらすを乗っけて、味噌汁には前日さかな天丼を食いに行った天ぷら屋さんで貰ってきた揚げ玉。それからご近所さんが差し入れてくれた山ウドをごま油で炒めた箸休め。インスタ映えはしないけど思わず笑っちゃうほど美味しいんだぜ。
ホントに美味しいもんを食ったとき、人間はみょうちくりんな薀蓄を語ったりはしないよ。ただただ笑顔になるだけなのさ。

20190510_140.jpg

さて、先週火曜日に病院へ行った大長男しま兄は、10日間の投薬をしっかり全うして今日でお薬おしまい。ウイルス性の風邪が蔓延っているのか数日前から同じ鼻づまり症状だった次男のひでじも、一昨日が悪さのピークだったようで今日はだいぶ回復してきた。

20190510_011.jpg

我が家の猫たちは僕や奥さんの経験則から「こりゃ病院行かないとまずいな」という段階以前なら、あくまで栄養摂取と自力治癒に委ねるのが基本。ひでじの場合は自力でなんとか持ち直しそうな感じだし、本人だって病院なんぞ行きたくないだろうからこのまま様子見ですな。

偽善とか偽愛とかそういうもの

先日Youtubeで犬の動画を観たんですよ。

みんな自分ちの猫や犬を撮ってアップするでしょ? 僕はよく知らんけど、あれってどうにか設定すると再生回数に応じて広告料みたいなのが支払われるのかな? だからあわよくば大当たりすれば棚からぼた餅的な魂胆もあるんだと思う。
で、僕がたまたま観た動画なんだが、なんと言うか、犬に対する愛情が感じられないんだよ。もちろん苛めてるわけじゃないし、厳しく接しているわけでもない。
だけどまるで玩具か下郎みたいな扱いでね、当人は結構愛情を持ってワンコに芸でもさせているつもりなんだろうが、僕の眼には家族とか同居者としての扱いじゃなく、もう完全に玩具、もしくは道具にしか映らない。

実はこういう人ってかなり沢山いるように思う。
口じゃ「うちの○○は一生のパートナー」とか、どこかできいた風な口をきくくせに、心の一番根っこのところじゃ所詮は「犬畜生」みたいな価値観しか持ち合わせていない人。
こういう人は自分が遊ぶためなら平気で何日も犬猫をペットホテルに預けるし、ちょっと具合が悪くなって手間がかかり始めると、掌を返したように冷酷な接し方をしたりする。或る日突然引っ越し先がペット不可だからとか、家が汚れるからなんて理由で、猫や犬を邪魔者扱いし始めたりするのもこの手の人間だと僕は思う。

猫も犬も飼い主を選べない。ロクでもない人間の許に引き取られてきた彼らは、それが自分の宿命と諦めるより他ない。
僕は必要以上に保護だ愛護だと声高な人たちもどうかと思うが、本人たちに全く薄情という自覚のない、いいや薄情の自覚どころか自分は動物愛に満ちていると錯誤した人も相当にタチが悪いと思えてならない。
野良猫が可愛そうだと言って次から次へと拾って来て、食事や病院でお金が足りないから誰か支援してください、という人も似たり寄ったりだと思う。そういうことはビル・ゲイツくらいの金持ちになって初めて出来ることなんじゃないんか?

20190507_105.jpg

僕がこんなところでブツブツ何を言っても仕方がないんだが、時々見たくもないものを見てしまって憂鬱になることがある。
人間は愚かで浅ましくて狡猾だよ。猫や犬は字も読めないし言葉も喋れないけれど、嘘をついたり誰かを騙したり裏切ったりはしない。だから人間も彼らと接するときは、最低限嘘や裏切りは慎むべきだ。

と思わせてくれたクソ動画でした。 (T_T)

そして誰もいなくなるのだ

今日の昼過ぎくらいから潮が引くみたいに静かになった。
まだ明るいうちにツムラの入浴剤を入れた風呂に浸かって、風呂上がりに牛乳入りのカップを手にデッキで涼めるのは、蚊が本格活動をまだ始めていない今だけの楽しみ。ウグイスやシジュウカラに交じって、まだ鳴き方がヘタクソなホトトギスの声が聴こえる。

20190505_856.jpg

BBQのバカ騒ぎや子供の叫び声だけでなく、つるんで走るバイクの爆音や救急車のサイレンもどこかへ消えていった。皆考えることはきっとおんなじ。明日一日骨休みをして明後日から溜息交じりのお仕事という算段でしょう。
とっぷり日が暮れて今は満点の星空。この静かさがちょっと寂しくもあり、辺りが元に戻った安堵も嬉しというところ。明日の夕方以降はさらに静けさと寂寥が増して、遠く首都圏近郊から漏れてくる溜息で空が霞むかも知れないな。

20190505_129.jpg

僕も明後日から外仕事だけど、まだ明日一日あるじゃないの。10日間非日常を満喫した人々と違い、僕はずっとド日常の只中に居たんだから明日くらい何か休日らしい過ごし方でもしてみようか。休日らしい過ごし方。だけど、もう何をすれば休日らしいのか忘れちゃったような気がする。

もうそろそろ飢えてきた

連休後半になってようやっと晴れてきたけれど光陰矢の如し。10連休10連休と大騒ぎしたものの残すところ今日を入れてあと3日也。

伊豆半島へ押し寄せる人たちの中に10日間滞在する人はいないだろう。宿泊施設に泊まる人なら1泊か2泊。別荘族でも長くて5日か6日ではないんかな? しかしそういう人たちの波は、途切れることなく連日入れ代わり立ち代わりで押し寄せる。迎える伊豆土着民としては毎日が阿鼻叫喚の大混雑になっております。

20190504_024.jpg

なんというか、も少し緩急がついていれば10日でも20日でもいいんだろうが、毎日メーターの針がレッドゾーンへ飛び込むような混雑となると、さすがに10日は長いなと思い始めちゃうんだわ。だってホントに10日間、大いなる決意でもしない限りは買い物にすら出かけられないんだからね。
今日はちょっとお昼に外食でもするか、と思っても大渋滞を覚悟しないといけない。ああ釜揚げしらす買いに行きたいな、と思ってもGoogleマップの交通状況見ただけで諦めてしまう。

大きな連休の最終日はいつもの平日以上に閑散とするから、この辺りを埋め尽くす人と車も明日の夕方までかな? きっと週が変われば、祭のあとの寂しさが心地良いくらい静かになるでしょう。そしたら田舎者も渋滞気にせず回転ずし行けるぞw

20190504_082.jpg

そりゃこの爽やかな時期にコーヒーとカメラ持って、木漏れ日の下で猫と遊んで過ごすなんてのはなかなか贅沢なことですよ。あとは大連休なんだからちょっと贅沢してカロリー高めな甘いものでもあると尚いいんだわな。たとえばロールケーキとか、パウンドケーキとか、フルーツケーキとか、なんとかケーキとか。
混雑覚悟で買いに行くか・・・。いいやあと3日だ。それまでは家にあるものでなんとか凌ごう。

風薫り緑に埋もれる世界かな。