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ぶらりごろりぱくり

僕はこうしてコツコツとブログをしたためていて、それはその日どうしたとかこうしたとかいう日誌的記述だけでなく、その日その時に何を考えたのかという思考の軌跡でもあったりする。

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近頃ではブログのほかにTwitterを時々使う。これは独り言のようなもの。それからinstagram。こっちはたまにいい写真が撮れたら投稿してみたりする程度。投稿するために写真を撮ったりはしないよ。あとfacebookはアカウント取っただけで完全放置。だって考えたことや感じたことはブログに書くんだから、フェイスブックになんてなんも書くことないよ。同じ内容を転載する人もいるんだろうけど、そうすることの理由がよく分からんです。なんか意味あるの?
それにフェイスブックの友達というシステムが胡散臭いというか面倒くさい。だいたい「友達申請」なんて言葉自体が理解不能だ。 住民票かよ「申請」とかって。だけどちょっと申請してみたw
僕はね、友達なんて言葉で指し示す人は生涯に一人か二人いれば十分なんだな。

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何かを見て、何かを考えて、何かを感じたから文章や写真を使ってそれを表現する。出来上がったものを畏れ多くも家の軒先に置いて、きっと世の中のお目汚しでしょうが酔狂な人がいたら見てやってください、という申し訳程度なのがブログやツイッターやインスタグラム。
いったい何が言いたいのかというと、そういうものの更新頻度が緩慢になったなあとシミジミ思ったんのですよ。けれどこのブログやSNSが自分の思考の軌跡を綴るものなだとしたら、僕の思考そのものが緩慢になったのに違いない。

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田舎に住むにつれ、歩くのも喋るのも考えるのもどんどん遅くなるような気がする。それをスローライフとか言うんか? 違うだろうな。悪化、劣化、鈍化。そういう言葉は負のベクトルばかりを内包するように思うけれど、たとえば「悠化」みたいな造語を使ってみると、都会とは別な生き様が言い表せたりするのかも知れない。
悠という言葉は美しい言葉だよ。悠久、悠然、悠遠。その言葉の響きは、細かな時間の目盛りを全部取っ払ってしまった、古い古い時計の文字盤みたいな気がしやしないか?

庭の隅に座って季節の移ろいを仰ぎながら、足元の猫たちと少しずつ歳を積み重ねていくのさ。さようなら黄昏の煉瓦道。17歳の頃に好きだった歌をも一度口ずさんでみようじゃないの。
Elton John - Goodbye Yellow Brick Road

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