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ぶらりごろりぱくり

自分が死ぬまでに使う鉛筆の本数を考えたら、
間違いなく一生モンの鉛筆削り。
電気要らずで用を成すのも今となっては素晴らしい価値。
それはたとえば静かに頁を繰る文庫本のようなもの。
それはたとえば日がな一日寝て暮らすネコのようなもの。

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一方、先日買った古い柱時計。
いろいろ調べてみると大正~昭和期に名古屋近郊に多かった時計製造会社製らしい。
ボーンボーンと正時の数だけ鐘を打つのとは別に半時にボーンと一回打つ仕様は、
どうやら昭和20年代以降に作られるようになったんだそうな。
この時計、半時の鐘は打たない。
ということは短く見積もっても作られてから70年は経っているわけだ。
機械部分に注油したミシン油がなじんで調子が出てきたのか、
はじめは不安定だった遅れが毎時きっかり3分弱ずつ遅れるようになった。

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ということは、70年前の古時計が刻む60分という時間は、
僕たち現代に生きる人間の63分に等しいというわけだ。
なるほど。それはそれで実に味わい深い。
だけどきっかり63分で動くなら60分で動くこともできるはずだよな?
と思って振り子の錘を上げて周期を速めてみる。
ネジ式の錘を目一杯上げても遅れは30秒ほど縮まるだけ。
これ以上はネジ山がない。
ならばと振り子の柄をノコギリで2センチほど切ってしもたw
ご老体には荒治療だったがこれでバッチリ60分に短縮。
かなり実用に近い範囲の誤差になってきた。

すごいよなあ。
金属と、木と、ガラスと、紙だけでできた70年前の時計。
今もちゃんと動くし、ゴムや樹脂を使っていないから幾らでも補修が効く。
今どきの時計やスマホが70年後に使えるとは思えんけれど、
ステッドラーの鉛筆削りやこの古時計はきっと70年後もちゃんと動いているだろう。
その時、僕はもう生きていないけど。
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