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ぶらりごろりぱくり

草木も眠る丑三つ時に起きているのは僕とネコたち。
この頃は4時を回るともう明るくなってくるんだぜ。
そんな今朝の4時過ぎ。
今年初めてホトトギスの声が聴こえた。

我が家の裏には山椒の木が2本あって、
カミさん曰く「野生か植えたのか分からないけど来た時からあった」らしい。
この木が毎年小さな緑の実をたくさんつける。
まあ、古家を買ったらもれなくついてきたオマケみたいなものだw

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剪定鋏とザルを渡され収穫を命じられた。
これも小さいながら柑橘の一種なんだろうか?
多くの柑橘の木には鋭い棘があるように山椒の木にも棘がある。
柚子や金柑の棘はそれこそ鉄条網のように強烈だが、
山椒の枝や棘は針のように細くて鋭利なのだ。
その棘の形や大きさがネコの爪にそっくり。
だから不注意に刺さったときの痛さもそっくりw

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ネコ爪と闘いながら四苦八苦して収穫したらなかなかの大漁。
3分の1くらいはご近所さんに分けて、
一握りは天日干しにして、
残りはカミさんが大分産シイタケと共に佃煮にする。
これがなかなかおいしいんだよね。
麻婆豆腐を作る時に小さじに山盛り一杯ぐらい入れると、
西安で食った麻婆豆腐と同じ味になるのだ。

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この前貰ってきた大理石テーブルの上でニヒルしてみた長男。
ハードボイルドな肥満児は喉の不調を脱したようです。
僕とカミさんと6匹の田舎ネコたちは伊豆にある別荘地の片隅に暮らしている。
その我が家の庭には国東から運んできたアイリスオーヤマの犬小屋があって、

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風雨に晒されてボロボロの犬小屋は次男の別荘になっている。
皐月の風が渡る椿の木の下は涼しげな木陰。
鳥の声を聴きながら、日がな一日寝て暮らす。

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今から40年前に誰かの建てた別荘に暮らしながら、
僕も庭にこんな別荘が欲しかったりするものだ。
出来ればロードスターが仕舞えるような。
ホーホケキョ。ウグイスが歌う5月。

今日はご近所さんから京都の生八つ橋を貰った。

Françoise Hardy - Star
ちょっと汗ばむくらいの緑あふれる初夏の一日。
僕は終日机に向かって腕組みをし、何やら考えながら過ごした。
あんなに楽しみにしていた車の整備もせずに一日が終わった。

遊ぶ前に何か答を見つけ出そうとする腕組みは何も見つけ出せないまま、
たいていの場合は概ね徒労と不毛に終わる。
どうせ何も見つけ出せないのなら無理に遊びを我慢しないほうが、
結果的にはより良い答を見つけ出せたりするものだと僕は思う。
人は上向きや前向きの気持ちでいれば良好な結果を得られるものだ。
などということを考えながら無駄にした一日を儚んでいる。
こういう時、僕は心の底から次に生まれてくるときはネコでありたいと願う。
けれど本当に人かネコかの選択を迫られたらどうなんだろうな?
やっぱりヌケヌケと「人間がいいです」なんぞとのたまうんだろうか?
いやいや。
ネコたちの生に対する無欲さと、死に対する潔さは人間にゃ真似できない。
あんなに無欲に、あんなに潔く生涯を過ごせたらいいなあ。
学歴や預金残高や葬式の花輪の数にしか価値を見い出せないなんて、
なんて寂しい生き物なんだろうかと思う。

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にゃー。
口にする言葉はそれだけ。
食うものがあればいただく。なければ眠るように死ぬ。
にゃー。
田舎に住む田舎者の背負う宿命。
それは草刈りw

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5月に始まり秋口の10月くらいまでに何度刈るんだろうか?
その年最初の草刈りは景観よりもムカデ対策。
家の周りをグワーッと刈って石灰を撒く。
そうするとムカデが縁の下から屋内へ入り込むのを防げるんだぜ。
新しい長靴が欲しいな。もう切れてきちゃって穴が開きそうだよ。

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現場監督のぷー。
放浪癖のある次女は気候のイイこの時期は出ずっぱり。
家に帰るのは飯を食う時だけ。
でも今日は30分ぐらい草刈りを眺めてからどこかへ消えて行った。
なかなかイイ写真が撮れましたね。ぷーさん。

物置の屋根を張り替え、カミさんの部屋に新しい棚を作り、
その部屋のカーテンレールを取り換え、庭の草刈りも済ませた。
次はやっとこさロードスターの軽整備。
エンジンかかるかな?

昨日から長男の具合がちと良くない。
時々痙攣するように激しくむせるんだが器官かな? それとも内臓疾患か。
大事になりませんように。
昨日からくつしたが絡んでくる。

我が家のネコ連中の中で、抱き上げてやると液状化してゴロゴロいうのは
長女のちーと三男のくつしただけ。あとの4匹は嫌がってジタバタする。
6匹もいるとなかなかじっくり構ってやれない。
だからすり寄って来た時だけは邪険にせず気が済むまで相手をしてあげるのだ。
何度も言うようだけれど人間一人に対してネコ1.5匹ぐらいがちょうどいい。
それ以上になると愛情も、メンテも、監視もおろそかになっちゃうんだよな。
だからうちも僕とカミさんに対してネコ3匹くらいなら、彼らがストレスを感じない
程度に相手をしてやれるだろう。

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ネコは人間と同じかそれ以上にヤキモチ妬きな生き物だと思う。
そしてネコは人間と同じかそれ以上に自分勝手でわがままな生き物だと思う。
僕は千手観音ではないから一度に2匹しか撫でてやれない。
僕は聖徳太子ではないから一度に6匹の陳情を聞いてやれない。
というようなことを、これからネコと暮らしてみようと思う人は参考にしてください。
もう20年以上前からずっと謎だった歌がある。

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誰が歌っているのかも分からんし、もちろん歌のタイトルも分からん。
5年くらい前までは歌い出しのメロディーだけは覚えていたんだが、今はもう
どんなメロディーだったかもさっぱり思い出せなくなってしもたw
だから探そうにも探す手立てがなく、誰かに尋ねようにも尋ねようがない。
僕がタイへ行っていた頃にゲストハウスの食堂なんかでよく聴いた歌だから、
80年代の後半から90年代の初めに流行った歌で、ヴォーカルは女の子。
歌詞は英語。アコースティックな音作りでとてつもなく爽やかな歌だ。
と、誰かに尋ねたって誰も分からないだろう。
で、この半年ぐらいの間、頭を使わない仕事の時にYouTubeで80s Pop Hits !
みたいなのをずっと聴いていたんだが昨夜ついに巡り会えた (´・_・`)
イギリスのグループでThe Sundays 90年発売のHere's Where the Story Ends



ずーっと探してたんだよ。懐かしいなあ。
超絶バブルへ突入する直前のタイは楽しかった。
何もかもがキラキラしてた。涙ちょちょ切れてます。
料理をするときに僕は味見をしない。

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だって味見をしたら食べるときの驚きがなくなっちゃうじゃないか。
だから僕は映画の予告編も見ない。
試乗も試聴も試飲も試食もしない。
当たりが出れば自分の選択眼が一つ肥える。
外れを引いたら勉強の糧にする。
この焼きそばはイマイチ。
何百回作ってもたいていはイマイチ。

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今年はホトトギスが遅いような気がする。
季節やネコの心はどんなに経験を積んでも読み切れない。
だからいつだって自然やネコは驚きに満ちている。
予定調和は愚の骨頂。
びっくりさせてくれなきゃ生きてる価値がない。
と、僕は思う。
仕事をリタイアして都会から伊豆へ移り住んで来る人は多いが、
もっと歳を取ると都会の便利さとサービスが恋しくなり戻っていく人もいる。
特に身体を壊した人で尚且つ経済力のある人にそのケースが多いと思う。
今日はご近所さんの知り合いのそういう人から、
都会への引き上げで不要になった家具やらなんやらを貰いに行った。
まああれだ、所謂ハイエナってやつですなw
ベッドとか本棚とかテーブルとか照明器具とかをトラックに積み込んだんだが、
大理石のテーブルってのはハンパない重さで参った。

いったい何十万円で買ったのか分からんが、
こういう物は手放すときの需要によっては二束三文どころか金を払っても
処分に困ることがあると思う。だって男三人でやっとこさ動かせるほど重たいのだ。
貰ったはいいが誰も欲しがらないのでうちの庭へ放置しておいた。
一度置いたらもう動かせないぞ。
夏場には石がヒンヤリしてネコちゃんたちの素敵な昼寝場になるだろう。
昔の光今いずこ。
ン十万円した大理石テーブルの余生は元野良ネコと元保護ネコのガーデンベッド。
でも、もしかすると石のテーブルもそんな余生を喜んでいるか知れない。

運んだ私は今夜からすでに身体の節々が痛いです。
明日がおそろしい。
5月12日はちょっと特別な日。
6年前に東京をあとにした日。
3年前にこの家を見に来た日。
世の中にはいろいろなことがあって、
その数え切れないぐらいのいろいろの中の、
ほんのひとかけらみたいなものが僕の生きる日々に関わってくる。
東京を離れたおかげで知ったことがあり、
東京に戻る気持ちを失くしたおかげで得たものもある。
大分へ行ったおかげで出会った6匹がいて、
その6匹のおかげで今は伊豆の山住まい。
空を見上げて飛行機雲に溜息をついて、
道端のミヤコワスレに溜息をついて、
窓の外を横切る鹿の家族に溜息をついたおかげで、
今の僕は前よりも少し開き直り、前よりも少しどうでもよくなり、
そうして前よりもだいぶ笑顔になったと思う。

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今だって日々の暮らしにそれほど楽しいことはないのか知れん。
けれど、楽しいことがなくても嫌なことが一つもないなんて、
それは素晴らしいことなんじゃあるまいか?
僕自身に楽しいことがなくても、
カミさんやネコたちが日々楽しければそれでいいではないか。
彼らが元気に笑っていれば僕もシアワセなのだと思う。
カミさんはともかくネコが笑うかどうかはさておき (´・_・`)

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そもそも僕の満足やシアワセなんてのは他愛のないもので、
たまに崎陽軒のシウマイを食ったり川崎住吉のくずもちを食ったり、
年に何回か信州辺りをドライブすればもうそれで十分。
あとは夫婦でちょこっと美味しいものを食べたり、
庭を走るネコたちと遊んだり、コツコツ集めた古いバイクや車をいじっていれば、
それでもう心満たされる安上がりな人間でしかない。

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5月12日が来るたびに僕はあの引っ越しの朝を思い出す。
東京の家に横付けしたトラックが家財道具一切を奪っていった日を思い出す。
でもあれで良かったのだ。
あの朝、パンダの絵が描かれたトラックがやって来て、
東京での暮らしを問答無用で木端微塵にしたからこそ、
今僕は庭の隅で1杯19円のブルックスコーヒーを飲みながら笑っている。
そして時々、あの頃の自分にこう言ってやりたくなる。
「ざまあみろ」と。

青春の影 - 財津和夫
ある朝ふと気がつくと貝が転がっていることがある。

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これはサカマキガイという繁殖力旺盛な淡水に住む貝だ。
大きさは1センチか大きくても2センチ。
こいつがどこに転がっているかというとこの水を張った小さな火鉢の横。

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サカマキガイは動きが活発で火鉢の内側を伝って歩き回り、
水面を泳ぐようにひっくり返りながら浮いていることもある。
とにかくなんでも食ってどんどん増える。

この鉢はネコたちの水飲み場にもなっているから僕は常に水を縁一杯まで
満たしておくのだが、そのせいで貝は水面から火鉢の縁を楽々と越えて
転げ落ちてしまうのだろう。
いや、もしかすると自ら望んで外の世界へ逃げ出してしまうのかも知れん。

でも無残かな、外の世界には彼らが生きるのに必要な水がない。
火鉢から落ちた貝は戻るに戻れず干乾しになって事切れるんだろう。
干上がっていく苦しみの中でサカマキガイは後悔するんだろうか?
あんなに狭くて変化のない火鉢の中にあったシアワセを思いながら、
ああ、外の世界を望んだオレが馬鹿だったなあと悔やみながら死ぬんだろうか。

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サカマキガイも、ネコも、人間も、営みに大した違いはないと僕は思う。
分相応。欲張らず、見栄を張らず、生きよう。

Judy Collins - Send In The Clowns
SKIN:Babyish-