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ぶらりごろりぱくり

先週の金曜朝に国東へ発ってから昨日の金曜まで、
もう何がなんだかよく覚えていないくらいにせわしかった。
近年スローライフとかスローフードとか、よく知らんけれど
まあゆっくりやりましょうやみたいな言葉を耳にする。
それくらい市井の人々の暮らしは時間に追われたものなのだろう。

僕の日常というのはスローを通り越して這うような有様で、
以前はそんなこともなかったんだが東京を離れてから
一気にスローダウンした感がある。
だから一日にやらなきゃならないことが2つも3つもあると、
もうそれを考えただけで疲労困ぱいしてしまうのだw
故に先週の金曜からの8日間は頭も身体も休む間がなく、
気がつけば夜の7時か8時にはベッドに倒れている状態。
そしてちょっと油断すると発熱するオマケつき。

この3連休を猫の如く無駄にダラダラ過ごして、
カレーライスとか唐揚げとか食べていれば回復するかもね。
やらなきゃならんことも来週からはそれほどない。
考えなきゃならんことももうそれほどない。
そうして阿呆のように、馬鹿のように、
大あくびする姿を人に苦笑されながら生きていれば、
人生は結構楽で喜びに溢れているのかも知れんなあ。

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国東の空気と時間はスローだった。
それに比べて伊豆はせわしい (T_T)
庭の彼岸花はすでに色褪せ始め、
さくらの葉は黄色くなってきた土曜日の夕刻。
こんな日の夜は甘いものでも食べるがいいのさ。
ああ、家が草の海へ沈む前に草刈りしなきゃ。
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先月から本を作っている本を作っていると言い続けていて、
だけど限られた人の元へしか届かないのを気に病んでいた。
和紙を糸で綴じた手触りは無理だとしても、
それがどんな本なのかくらいは分かってもらえるかな?
と思ってPDFファイルにしてみました。

山の麓で猫と暮らす

誰でも閲覧できるし誰でもダウンロードできます。
何度かここへ書いたけれど全ては一度このブログのどこかへ
記したものであって、以前から読んでくれている人は目にした
ことがある筈のものです。
多少は手を加えた部分もあるけれど基本的には原文のまま。
「猫にGPSをつけてみた」という本には敢えて入れなかった、
僕自身がとても好きな随筆の一部です。
自分が選んだ写真も本の制作過程でほとんど差し替えられて
しまったけれど、このPDFで使っているのはお気に入りの写真。

だけどこれが本屋に並んでいたって誰も手に取らないだろうな?
という気がする。
でも世界中の人に無視されても、世界中の人に非難されても、
僕は自分自身が及第点をつけた文章を愛する。
なぜかというと、それが僕の一番の聖域だからなのだ。

Bobby Vinton - Mr. Lonely
自分のブログをスマホで読むことなんてなかったから気づかんかったのだが、ある人に「コレなんとかならんの?」と言われてスマホから見てみた。んー、さすがにこれはひどいw 全体の3分の1くらいが広告じゃんかよ。ただでさえ表示面積の小さいスマホでこれはないだろ?

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PCサイトでは広告を消せるんだけど、どうもスマホ用のサイトでは何をやっても無理みたいなのだ。月額300円の有料プランに替えれば広告なしになるそうだが、お金払うなら何もFC2じゃなくてもっとまともで健全な会社が運営するサイト使うよw
という訳で、環境設定を見直してスマホでアクセスしたときにスマホ用のテンプレートではなくPC用のテンプレートを読み込むようにしてみた。こうすれば広告は出ない(はず)。あとは書くときに改行をなるべく少なくすれば、変な折り返し位置で文章が千切れることもないとないんじゃないかと。

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この頃はPC用のテンプレートにもレスポンシブル仕様といって、スマホでアクセスしたときにブラウザが自分自身でレイアウトを調整してくれるものも増えているようです。それを使えば広告も入らないし、当然スマホで閲覧した時もすっきりしている。
昨夜からいくつか試してみたんだけど、なるほど驚くほど良く出来ているもんですな。HTMLの極々基本しか知らない僕にはとても作れそうにないクオリティ。四半世紀も前のカビと埃にまみれた知識やセンスしかない僕から見たら隔世の感がある。

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だけどね、あまりに隔世の感があり過ぎて、「これさぁ、オレの文章にはオシャレ過ぎねえか?」みたいな恥ずかしさ満載。やっぱりあと僅かで平成が終わろうとする今、昭和育ちの僕はスターバックスよりもショートホープと炒った珈琲豆の匂いが染み込んだ喫茶店の方が落ち着くわけですよ。
分厚いソファにドテーッと倒れ込んで、ラメ入りのつっかけ履いた脱色ロン毛のおねーさんに「ご注文わぁ?」と聞かれたら「ホット」とか答えるような店が忘れられないジジイなの。しかしな、いったいなんなんだよ「ホット」ってw

斯様な次第ですからオシャレなレイアウトは今時のオシャレな方々に担ってもらおう。そして僕は道玄坂の上の方にある薄汚い路地を入って、水苔と煤のこびりついた雑居ビルの階段をトントントンと降りた地下の、時代に取り残され忘れられ廃れ果てたロック喫茶という、今時のオシャレな方々が眉をひそめるような雰囲気を死守していこうと誓うのであった。

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スマホで読まれている皆さま。スマホを横にすればいくらかでも見易いかと。こんなローテクでしか対応できない私を憐れみつつ、画面の回転機能をONにしてご辛抱願います。
涼しくなって体調も機嫌もいい今日のインスタ映え。
僕は高級懐石より磯部揚げの方が好きだな。

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喉元過ぎれば熱さを忘るという。
あんなに暑かった狂気の日々も過ぎてみれば空騒ぎ。
だから言ったじゃないか、
どんなに暑くても、どんなに寒くても、
平らに均してみればいつもと同じなんだって。
それでも20年前や30年前に比べると、
気温は少しずつ少しずつ上がってきているんだよな。
まるで誰かの体重みたいですねw
あ、300g増えた! とか、
あ、600g減った! とか、
まあ平らに均してみれば一年で増減は無いよと嘯きながら、
20年前や30年前に比べると10kg以上増えているという悲惨な事実。
まあいいか、猫たちがいるから。

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腕白でもいい、太っていてもいい。
元気あればそれでいい。
と自分を慰めてみる。
努力もせず、じっと腹を見る落伍者かな。
今週の金曜から5日間の国東参り。
昨年の4月に行ったきりだから17か月ぶりか。
飛行機乗るのも久々な田舎者。

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8月にやった猫本のお茶会で、来てくれた人にお土産として配った和綴じ本。国東で本を売ってくれた書店さんや、本を買ってくれた人や、買った本を茶房の片隅へ置いてくれた人への手土産に少しだけ作り足した。
こんなつまらないものより羽田空港で売っているお菓子の方がいいのか知れんが、猫本繋がりで出来た縁だからまあそれはそれ、これはこれということで。

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大分北部で熱心な営業に努めてくれた義兄さんには静岡銘菓の「こっこ」だ。なんでかというと、義兄さんは養鶏業なのでメアドもkkokko@****だし、別府辺りの飲み屋さんでも「こっこさん」というあだ名で人気なんだそうなw きっと義兄さんを通して飲み屋のお姉さんたちも本を買ってくれたことでしょう。
どうもありがとうございます。
だから別府界隈でのウケを狙ってお土産も静岡銘菓のこっこ。

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お店のオンラインショップで3000円以上買うと送料無料なんだけど、どんな味か試しに伊東の道の駅マリンタウンで買ってきた。
一番小さい6個入りにしたんだけど、中を開けると2個ずつの包みになっていて色使いもデザインもポップなかんじで可愛い。しかもなかなかおいしいぞ、これ。
ということでカミさんがネットで注文したそうです。
静岡に来たら買ってみてちょ。
2刷の見本が雷鳥社さんから送られてきた。

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同梱されていた新刊案内の小さなリーフレットには手描きのらいちょうくん。
秋に出る新刊案内のリーフレットだけど裏表紙には新刊ではない「話題の本」が。

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僕自身はたまたま出会った野良猫や捨て猫たちとの暮らしを綴っただけ。その暮らしがたまたま街を遠く離れた桃源郷、あるいは人外境だったというだけ。自分にとってはそれ以上でも以下でもない日々の記録でしかない。それはこのブログを当時から読んでくれている人なら分かっていると思う。
もしその愚痴に塗れた記録のどこかに某かの物語があったのだとしても、主役は語り部ではなく猫たちであって、本の中へ閉じ込めた悠久の時を食むような山での暮らしも僕が望んで実現したものではなく、ましてや本の出版を意図して準備されたものでもない。
あの頃のすべては時の成すがまま。カッコつけずに言い換えればただのズルズルな成り行きみたいなもので、なんとなく移り住んだ山奥の藤棚から6個のボタ餅が落ちてきたようなものだと思う。

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自分自身や自分の作った物に対する冷静な批評や批判はなかなか難しいもの。
とくに歳を重ねた人間は狭小な自己礼賛と肯定で凝り固まっていることが多いと思う。だから僕は、たとえ部分的にでも自分の関与したものが僕の与り知らない書店のどこかに値札を付けられてポンと置かれたとき、数多並ぶ本の中から誰かがそれを手に取り、
その中の誰かが大枚を叩いてくれたこと自体が驚きでしかない。
そして顔も知らぬ人たちから聴こえてくる読後の声や、出版社さんにとっては遅々とした歩みであったとしても、こうして増刷に至った過程は盲目的で狭小な自己礼賛などではなく、少なくともこの本が世界から黙殺されたまま消えていくようなものではなかった、
という証なのだと思う。それは出版に尽力してくれた人たちと猫たちの功績であって、僕がしたことといえば6匹の子猫に食事と寝床を提供したのに過ぎない。

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当の猫たちは大病もせず、傷の残る怪我もせず、車にも轢かれず、時々は兄妹喧嘩をしながらもなんとなく兄妹らしき結束を保って、今も朝と夕方の5時にはご飯を食べに帰ってくる。けれど、もうあの山を駆け回ったことも忘れてしまったんだろうな? と思うとちと寂しい気もする。
来週末には一年半ぶりで国東へ行くんだ。もう一度6つのケージへ彼らを押し込んで、フェリーで海を渡って連れ帰ったなら、彼らはあの山や小径を思い出すのかな? 朝夕5時に犬のお巡りさんが聴こえると、今では板で塞いでしまった猫ドアのあった家の壁から、中へ入ろうと列を作るのかな?
暑いけどエアコン入れたのはお昼にラーメン食べた時だけ。
窓を開けて入ってくる風にもう息苦しさはなくなった。
蚊取り線香も焚いているけど夏の名残りを儚んでいるだけ。
だから、なあブタさん。
きみの出番もそろそろなくなるみたいだぜ。

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大室山の上の方からススキの色が白く変わり始めている。
秋がトンボと一緒に山から降りてくるんだ。
窓を通ってくる光も、
ガラスを突き破ってくるというよりはしみ込んでくるかんじ。
床の隅へ掃き残した埃を猫が舞い上げて、
柔らかな光の中に綿雪がきらきら。

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今日出版社から拙著の重版が決まったと連絡が来たらしい。
僕は売り上げに何も貢献しないダメな著者。
あの本に携わっているたくさんの人の努力が成したことなんだろな。
そしてあの本に身銭を切ってくれた人たちの好意に支えられたんだろう。
ありがとうございます。
月並み過ぎるけれど僕にはそれ以外に言葉がない。

目指せ、ベストセラー作家w
月曜の外仕事中に突然背中に痛みを感じる。
僕は姿勢が悪い人なのでよく寝違えたり筋を捻ったりするから、
「ああ、またいつものやっちゃったな」と思っていたんだがなんか様子が違う。
全身に脂汗が出てきて、ちょうど車に乗っている時だったんだけど、
とても運転どころじゃなくて国道を反れ、どこかの家の畑に車を突っ込んでリタイア。
じっとしていれば良くなるかとタカを括っていたらどんどん症状は悪くなる。
救急車を呼ぼうとも考えたが気力を振り絞って仕事先まで戻り、
そのまま車の後部座席へ押し込まれて伊東の市民病院へ。

背中が痛いというのは所謂「アブナイ系」なんだそうな。
心筋梗塞とか大動脈解離とか、要は一刻を争う治療が必要な病気のことが多いんだと。
CT撮って、レントゲン撮って、血を採って、心電図取って、内視鏡撮って、
一通り検査したけどどこも悪くない。健康!のお墨付きもらってしもた。
が、背中の激痛は退くどころか強まるばかり。
月曜の夜は鎮痛の点滴が切れる度に七転八倒で冗談でなく死ぬと思たw
火曜、水曜と入院してなかなか原因分からず、今日の朝に内科から
整形外科の先生に回されたら壮絶な肉離れという診断で一件落着。
まだ痛みはあるものの入院していてもリハビリくらいしかすることないんで
退院すれば? と言われたので4日ぶりに我が家へ帰ってきました。
初めての入院生活で思ったこと。病院の飯も捨てたもんではないw

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この中華丼なんて熱々で美味しそうだったよ。
僕は食欲なくて匂い嗅いだだけでギブアップだったけど、
そこいらの不真面目な中華料理屋よりよっぽどちゃんとしてる気がしたぞ。
ご飯も味噌汁もおかずもちゃんと熱々なんだけど味が薄いのはいたしかたない。
味が薄いと料理の見た目も食欲を掻き立てなくなるよな。

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↓の写真は僕が時々食いに行く伊東市民御用達の定食屋さん。
レバニラ定食と冷奴(豆腐一丁丸ごとOrz)

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こうしてみると普段食べているものがいかに高カロリーで濃い味で巨量なのか?
ということがよく分かったりする。
だからなんなんだ? というわけではないが筋肉剥離の治療には、
※正しい姿勢を心がける
※栄養バランスを考えた食事を心がける
※ストレッチを継続する
なんだそうな。
できるかなあ、わたくしに (´・_・`)

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4日ぶりの対面もクールに無視を決め込む猫ども。
みなさま、お騒がせいたしました。
本つくってます。

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和本は重ねた紙(折丁)を糸で縫うわけだけど、縫う糸と針は太いものなら
裁縫用でも構わない。本を作るからと言って特別なものは必要ないと僕は思う。
でもうちには太い裁縫用の針も糸もないから通販で探した。
そしたら今は和綴じ本を作るのも一つの趣味として定着してるんだそうな。

なんでもかんでもデジタルデジタル。という流れの中で消えつつある本。
今じゃ「自炊」とかいって本をバラバラに切り刻んでスキャナーで読み、
わざわざ電子書籍にする人が大勢いる。
こういうことを平気でやる人というのは、たとえば愛蔵のレコードやビデオを
デジタル化するときに、元のレコードやビデオテープを再生不能なまでに破壊しても
平気なんだろか? と考え込んでしまうのは僕がかつて本を作る側の人で、
尚且つ電子書籍よりも紙の本を手にすることに喜びを感じる人だからでせうか?

人それぞれにどんな理由があるのだとしても、僕は本を切り刻む人よりは、
ささやかな趣味で和本を作ろうとする人の方に共感や愛を感じる。
たぶん、これから先、本の価値というものは中に書かれていることよりも、
物としての価値に移行していくんじゃなかろうかと僕は思えてならない。
それは世がどんなにデジタル化してもモレスキンのノートが愛され続けるように、
機能よりも物としての存在自体が価値を主張していくんじゃなかろうかと。

僕は生理的に新しいものを毛嫌いする時代遅れな情弱人間になりつつある。
高圧コードで点火する4気筒の内燃機関を愛し、針と数字で情報を読み取る
メーターや時計を愛し、18金のペン先が描くブルーブラックのインクを愛し、
鍋で3分煮る即席の袋麺とショートニングを挟んだだけの菓子パンを愛する。
だけどその時代錯誤が誰かに迷惑をかけるわけではないだろう。
対外的には失礼のない程度に新技術や新方式を学んでおけばいいだろう。

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手で紙を折り、それを束ね、糊で背を固め、針と糸で縫う作業は楽しい。
それは僕がかつて製本屋さんだったからかも知れない。
そうだよ。オレは職人さんだったんだよ。
僕は自分の手が覚えていた「技」みたいなものを愛しく、そして誇らしく思った。
それがなんだか妙に嬉しかった。
なぜなら、自分の経歴や経験はすべてどこかへ置き忘れてしまい、
無口で無能な木偶の坊のように思われている今の僕の日常には、
誰かに対して誇らしく思えるものなど一つもなくなってしまったから。

人生いろいろ。猫たちがいるから生きていける。

Fausto Cigliano - 私だけの十字架
臆病な兄の警戒心と猜疑心も、

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ちょっと白痴美な妹の好奇心も、

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炙られて溶けだす暑さかな。

タイには乾季と雨季のほかに暑季というのがあって、
4月と5月の暑さは強烈なものだった。
だけどあの暑さよりも今の日本の暑さの方が病的だと僕は思う。
日本の7、8、9月は紛れもなく暑季。
眩暈のするような暑さの中、元気なのは桜に群れるセミだけ。
いいやセミも元気なわけじゃなく、この暑さに狂ってしまったのかも知れん。
あまりの暑さと雨の少なさに庭の桜が葉を落とし始めた。
干からびて、黄色くなって、はらりはらりと落葉する。

明後日は立秋。
暑季来たりならば秋遠からじ。
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